東京都奥多摩町の記事 (最終更新:2009.05.09)
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■総合
未記入は朝日新聞
2009.04.14
  • 鷹狩り具 「足革」に注目
  • 江戸期「実在驚き」
  • 長野で見つかり奥多摩・田籠さん宅に
奥多摩町 >>戻る
2009.05.09
  • 水道事業、都と統合
  • 来春から
2008.10.09
  • 机の天板 地元産材に張り替え
  • 奥多摩っ子」育成目指す
  • 町内の小中学校4校で実施
アサヒタウンズ
2008.09.24
  • 花嫁よ奥多摩町へ 今年も出会い応援
  • 過疎解消で山梨2村と協力
2007.10.27
  • 奥多摩町が住宅地を販売
  • 奥多摩でスローライフいかが
  • 過疎・高齢化に悩む奥多摩町で、若い世代を主な対象として住宅用地7区画が売り出される。
    • 1区画40〜50坪(130〜165平方メートル)で、価格は300万〜420万円。
  • 奥多摩湖小河内ダム建設中の昭和初期には、1万人を超えていた町の人口は現在、6600人超。
    • 高齢化率は約37%に達し、10年前に比べ10ポイント上昇した。
  • 一方で奥多摩の豊かな自然を楽しみに、年間約150万人の観光客が訪れるなど根強い人気がある。
    • 「多くの奥多摩ファンに来てもらいたい」と奥多摩町。
2004.03.12
  • 山里の支え2度目の閉校 小河内(おごうち)小・中学校
  • 奥多摩湖の北、東京都内で最も西にある二つの学校が閉校する。
    • ダム建設で一度、かつての学校が湖底に沈み、その閉校式から47年。
    • 山里の学校は、村人の心の支えでもあった。
  • 明治から111年の歴史の町立小河内小学校と、戦後57年続いた小河内中学校。
    • 小学校の在校生は4人、中学生は3人まで減った。
    • 約10キロ離れた町中心部の氷川小学校、中学校に統合される。
観光関連 >>戻る
2011.10.14
  • 100縁商店街」好評第2弾
  • あす奥多摩で58店
  • コロッケ・乾電池・栄養ドリンク・・・店の一部商品100円
  • 商店街全体を「100円ショップ」に見立て、各店が一部の商品を100円で売るイベント。
    • 今年5月に初めて開催。
    • 「100円商店街」の試みは山形県新庄市で始まり、全国に広がっている商店街の活性化策。
    • 奥多摩商業協同組合の主催。
2010.11.29
  • 囲炉裏端で昔話に浸る
  • 民話の宿 荒澤屋
  • [たま(多摩)には温泉!?]
  • 語りは1988(昭和63)年から始め、「将来に残そう」と、町の古老から聞き取り、民話集を自費出版したのがきっかけ。
  • 公式HP→民話の宿 荒澤屋
2009.09.02
  • 21集落「お宝」探し
  • 町が絵図を無料配布
  • 観光リピーター増加期待
2009.03.12
  • 「包み込む優しさ 奥多摩の暮らし伝えたい」
  • 写真集「エントツのある家」
  • 洋画家・石山久輔さんが出版
  • 手作りの自宅・自然を紹介
アサヒタウンズ
2009.02.11
  • 春、すぐそこ
  • (フキノトウ)
2008.12.18
  • 赤ちゃんを育てるような心持ち
  • 早春たき火塾
アサヒタウンズ
2008.12.11
  • 春には赤、白、ピンクの花桃が咲く
  • 西川花の里
  • たまの里
  • 互いの得意分野生かしイベント共催
  • 西川花の里
  • たまの里
2008.04.17
  • 3段落ちや豪快さ・・・個性を競う
  • 新緑の梅沢(うなざわ)の滝めぐり
  • 大岳山(おおだけさん/おおたけさん)の麓の海沢谷。
    • 下流から、三ツ釜の滝。ネジレの滝、大滝、不動の滝。
    • 8年前に「海沢の四滝」として東京都名勝に指定されたが、不動の滝は現在、安全対策上、立ち入り禁止になっている。
  • 滝めぐりの園地までは、林道を約1時間半歩く。
2004.07.30
  • ぶらり奥多摩、散歩 枝川公一さん 紀行文出版 
  • 「むかし道」たどり
  • 渓谷・温泉 心和む
  • 「街は国境を越える」などの著作があるノンフィクション作家枝川公一さん(63)が、奥多摩の渓谷や温泉を訪ね歩いた紀行文『多摩一日の行楽』を出版した。
    • 枝川さんは東京・下町育ち。
    • これまで多摩地域にはあまりなじみがなく、遠くて行きにくい場所だと思っていたという。
    • ある時、田山花袋が書いた紀行文集「東京近郊 一日の行楽」を手にした。
    • 武蔵野など東京近郊を訪ね歩きながら、「都会から野に向かう心の楽しさ」を描く花袋の姿に共感を覚え、奥多摩を歩いてみようと思い立った。
    • 関連HP→WAVEtheFLAG (枝川公一氏ブログ)
森林セラピー基地 >>戻る →森林セラピー基地 公式HP→奥多摩森林セラピー
2009.04.23
  • 森林セラピー基地
  • 奥多摩にオープン
  • 車いす用モノレールも
2008.04.10
  • 「森林セラピー基地」
  • 遊歩道5本が認定
  • 障害者が車椅子のまま利用できるモノレールを備えた全国初のセラピー専用歩道のほか、湖畔沿いのコース、滝を訪ねるコースなど計26.5キロが「森林セラピー基地」に認定された。
  • 東京都内では檜原村の1キロの歩道が森林セラピーロードとして認定されている。
    • 「基地」は複数の歩道と宿泊施設などが整備されていることが条件で、奥多摩町が都内初
  • 認定には、血圧、脈拍、消化酵素であるアミラーゼなど生理測定と筆記による心理状況の実験によって科学的な効果が実証されることが必要。
    • 例えば、都市部と森林部では、唾液中のコルチゾールという「ストレスホルモン」が都市部に比べ、森林では濃度が低くなるという。
  • 奥多摩町では、宿泊施設の基準づくりのほか、ウオーキングなど運動療法や草木染など作業療法、地場産の食材提供や弁当づくり、遊歩道の整備など5分野に分けて森林セラピーに関する利用者へのメニュー作りを進めている。
獣害 >>戻る
2008.10.15
  • 母グマ「グワー」 倒され、かまれ
  • 重傷負った山野井さん 「意識失うかと」
2008.09.18
  • 奥多摩湖畔、登山家襲われ重傷
  • クマ出没散策路 立ち入り禁止に
2008.09.17
  • 登山家・山野井さん、熊に襲われ重傷
  • ジョギング中
2004.08.05
  • シカ食害、水源林ピンチ 砂漠化深刻、頭数管理へ
  • 人工林の皆伐跡では、同じ時期に苗木を植えた林が成長し、一度に伐採した。
    • 次の林が育つまでは一面が草地になるため、シカのための牧場のようになってしまう。
    • 1991年(平成3)から杉やヒノキを植えたが、それもシカの食害でほぼ全滅した。
  • 2〜3年前から土壌の流出が止まらず、一帯の砂漠化が顕著になったという。
    • 「シカの群れが繰り返し同じ植林地に入り、蹄の跡だらけ。硬くなって草は生えない。土は霜柱が立って細分化され、軽くなって流れていく」
  • シカは、積雪が50センチを超えると、移動が難しくなる。
    • エサを十分にとれずに餓死するシカもいて、頭数が一定の範囲内におさまってきたといわれる。
    • しかし、近年の温暖化で雪が少なくなった。
  • 以前は奥多摩町でもシカが減ったたため、1976年(昭和51)に禁猟とされた。
    • しかしその後、数が増え、ワサビなどの農作物や林業への被害が著しくなり、1993年(平成5)から有害鳥獣として駆除するようになった。
  • 年1回とされる出産も、栄養状態が良ければ2回の例もあるという。
    • 冬場の死亡率が下がり、繁殖率が高くなって、捕獲数を超えてシカが急増したとみられている。
  • 「シカが一方的に悪いというわけではなく、地域の生態系のバランスが崩れてしまっている」と都環境局。
    • 適正な頭数を保つことは、シカにとっても将来この地域で長く生存し続けることを可能にするという。
2004.08.02
  • シカ食害、斜面崩落
  • 氷川の川乗山(かわのりやま)で、シカの食害が深刻な斜面が豪雨で崩落し、町営水道の取水への影響が心配される事態となっている。
食・名産 >>戻る
2008.08.01
  • 静寂と高級感で勝負
  • 奥多摩・渓谷沿いの人気飲食店「うさぎ庵
  • 席減数・メニュー一新
  • 公式HP→うさぎ庵
2008.05.27
  • 野生シカ飼育へ
  • フェンスで生け捕り
  • 食肉用の安定確保狙う
  • シカ肉料理の特産品をめざしている奥多摩町で、野生のニホンジカを捕獲後に飼育し、食肉にしようという試みが始まった。
    • 町は駆除のために捕獲したシカを食肉加工施設で処理して町内の民宿や旅館に卸しているが、需要が多い夏から秋にかけては品薄になる。
  • ニホンジカを1993年(平成5)から有害鳥獣として駆除してきた奥多摩町は、「食害転じて観光の目玉に」と、シカを食肉処理する「森林恵工房(もりのめぐみこうぼう) 峰」を2006年(平成18)に完成させた。
    • ところが皮肉なことに、今度はシカが思うように手に入らない。
  • 原因は様々ある。
    • 銃で撃たれたシカは商品にならないことが多い。
      • ももと背の肉が主に食用とされ、銃でその部位を撃たれると商品にできないから。
      • 1頭から食肉に利用できるのは体重の約12〜13%。
  • 昨年度は約320頭を駆除したが、3分の2は商品にならなかった。
    • 駆除を始めてからはシカが町外に逃げ、頭数も減っているという。
    • 気温も体温も高い夏場は、運搬する間に肉が変色。
2008.03.09
  • バナナの甘み、辛さの脇役
  • 農家ヘムロック「じっくり煮込んだこだわりのカレー
  • ぐるたま
  • 具材はタマネギと豚肉、隠し味のバナナだけ。
  • 公式HP→農家ヘムロック(奥多摩町観光協会ページ) 地図
2007.05.12
  • 地元主婦の手で再出発
  • 三セク撤退、奥多摩の2飲食店
  • 町「観光振興に期待」
  • 奥多摩町が出資する第三セクター「奥多摩総合開発」が経営していたうどん店と和食料理店。
    • 赤字が続いたためいったん店を閉め、町が指定管理者制度を利用して経営者を募集していた。
  • 「森のカフェ アースガーデン」は奥多摩の人や自然、食材にこだわった店作りが目標。
  • 旬彩食房「うさぎ庵」は地元産の食材を取り入れた季節料理。
  • 公式HP→
2007.02.03
  • シカ、カレーで一役
  • 山荒しで「悪評」でも・・・
  • ヘルシーさ受け完売「街おこしの目玉に」
  • 奥多摩観光協会がシカ肉を使ったレトルトカレーを売り出したところ、品切れになるほどの好評ぶり。
    • 奥多摩 山の恵みカレー
    • 町で捕獲されたシカ肉のほか、町特産のワサビの茎も入っている。
    • 「ほかでは食べられない自慢のカレー」と観光協会事務局長(58)
    • 奥多摩 山の恵みカレー
2006.08.26
  • 食害と闘い胸張る品質
  • ワサビ田
  • 涼景・奥多摩の夏
  • 町内には計約8ヘクタールのワサビ田があり、年間約50トンが収穫される。
  • 一方で、シカなどの野生動物が食い荒らす被害は深刻。
    • 被害が出始めた20年前に比べ、収穫量は3割減った。
    • 後継者不足も進む。
    • 1950(昭和25)〜60年代に約150人いた奥多摩山葵栽培組合の組合員は現在65人。
  • 「奥多摩のワサビは辛みも強く、甘みもある。奥多摩の水と土が育てたどこにも負けないワサビ」と組合長(47)。
2006.08.17
  • 食害転じて特産物
  • 奥多摩でシカ肉料理を味わえる
  • 低脂肪・やわらか・あっさり味
  • 奥多摩町の幾つかの旅館や民宿、飲食店でシカ肉料理が味わえるようになった。
    • 奥多摩の山に多くの食害をもたらしてきたニホンジカを、町の特産物として売り出そうというもくろみ。
  • 奥多摩町では十数年来、ニホンジカが農作物を荒らしたり、山林の木の芽や樹皮、下草を食べ尽くす被害が増え続けている。
    • 高山植物が消え、砂漠化して土砂の流出や岩石の崩落などの被害も出ている。
  • そんな中、町内の旅館や民宿のおかみさんが2年前に女将(おかみ)の会を結成して、シカ肉の料理法などを勉強してきた。
    • 町は5月末、食肉処理加工施設を造り、猟師が捕獲したシカを加工処理している。
アサヒタウンズ
遭難・事故 >>戻る
2008.11.22
  • ご注意 奥多摩ツーリング
  • 事故、救急の7割超・搬送まで2時間
2008.09.11
  • 奥多摩で不明の男性、遺体で見つかる
2008.05.02
  • 遭難多発
  • 過去6年で最多
  • 登山マナーの悪い初心者が増えたほか、中高年の登山人気、尾根を走るレースなど山の楽しみ方が多彩になってきたことも背景にある。
    • 山岳救助隊がある都内3署(青梅(青梅市)、五日市(あきる野市)、高尾(八王子市))管内を合わせた昨年の死者・行方不明者は10人、負傷者53人、救助要請があった出動回数63件。
    • 「都心から電車で1時間半で来られる気軽さもあってか、観光気分の延長で山に入る人が目立つ」と青梅署山岳救助隊副隊長(60)。
  • 昼近くに鷹ノ巣山に登りたいという20代の男性が交番を訪ねた。
    • 通常なら下山する時間帯。
    • 山小屋での宿泊を希望したが、寝具の所持を確認すると「シュラフ」の意味さえ知らなかった。
    • 「都会のホテルのように、金さえ払えば山小屋でも何とかなると勘違いしている」
  • 青梅署管内の遭難事故のうち50歳以上が7割を占める。
    • 事故は体力が落ちる下山時に多い。
    • 最近は推進力をつけるためストック(登山用つえ)を使う人が増えているが、「慣れていないとバランスを崩す。下山時に両手を使うダブルストックは特に避けてほしい」と注意している。
2007.11.26
  • 猟銃誤射
  • 「動物と間違え」発射、腕に命中
  • 大丹波(おおたば)の棒ノ折山で、イノシシ猟に来ていた神奈川県平塚市の男性会社員(57)が、登山者で千葉県市川市に住むアルバイトの男性(38)に猟銃を1発発射した。
    • 男性は銃弾が左腕に当たり全治約3週間のけがを負った。
    • 撃った男性は「動物と間違えた」。
  • 男性会社員は1人で猟に来ていた。
    • 登山の男性は会社員の約20メートル前方で登山道から外れて倒木に座り休んでいた。
    • 近くの草木が揺れたため、動物が潜んでいると勘違いして発砲したらしい。
毎日新聞
2007.10.21
  • 山岳耐久レース中滑落、40歳会社員が死亡
  • 小河内峠から御前山方向に約1キロの山中で、「日本山岳耐久レース」に参加していた男性会社員(40)が急斜面を約200メートル滑落し死亡
    • 滑落した現場は柵などが設置されていない幅70センチほどの登山道だった。
    • レースは社団法人東京都山岳連盟の主催で、15回目。
      • 午後1時、五日市中学校(あきる野市)をスタートし、24時間以内に奥多摩主要峰の全長71・5キロを走り、五日市会館(同市)にゴールする。
      • レースには全国から約2000人が参加していた。
      • 公式HP→日本山岳耐久レース
2006.04.26
  • 奥多摩に落雷、登山家が死亡 
  • マナスル登頂66歳
  • 氷川の山中で、登山中だった登山家小原和晴さん(66)が落雷にあい死亡.。
    • 小原さんは1971年(昭和46)、日本人の登山隊の一員としてヒマラヤ・マナスルの登頂に成功したベテランだった。
    • 現場は「大休場(おおやすんば)尾根」と呼ばれる場所で、標高約920メートル。
    • カーボン製のステッキを持っていた。
■地域
大丹波(おおたば) >>戻る
2005.12.02
  • 巨大ツリー輝き増す
  • 大丹波でイルミネーションフェスタ
  • 山肌に長さ約70メートル、幅約110メートルのクリスマスツリー型のイルミネーションが設置された。
    • 「街灯もなく暗い地域に何か賑やかな感じの催しはできないか」と有志が考え、一昨年から設置。
  • 今年は、奥多摩町が住民主体のまちづくり提案を支援する「まちづくりひとづくり支援事業」の支援事業に選ばれ、交付を得て、昨年まで約1万個だった電飾を約3万5千個に増やした。
  • 駐車場はないが、イベント当日はJR青梅線川井駅から会場までバスによる送迎あり。
  • 大丹波地区のイルミネーション
日原(にっぱら) >>戻る
2006.08.25
  • 環境映す「千年」の巨樹
  • 倉沢のヒノキ
  • 涼景・奥多摩の夏
  • 地元では「千年ヒノキ」として親しまれ、1987年(昭和62)に都の天然記念物に指定された。
    • 高さ34メートル、幹回り6.3メートル。
    • かつて信仰の対象とされ、根元には小さな祠もあったが、数年前に朽ち果てた。
2006.07.26
  • この夏、奥多摩に行こう! 
  • 国内有数の巨樹の里
  • 山林が94%を占める奥多摩町では、環境省が巨樹の基準とする「地上から1.3メートルの高さの幹回りが3メートル以上」の樹木は確認されているだけで約千本もあるという。
    • そのほとんどが、町内でも奥まった山間部、日原地区の急峻な渓谷や山腹で息づいている。
2004.03.27
  • 巨樹の里でエコツーリズム
  • 新しい観光に取り組む 
  • 自然や文化生かす
  • 日原は日本一の巨樹の里
    • かつては修験道の聖域でもあり、幕府の直轄地でもあった。
    • その自然や文化、人を生かしながら、地球環境にまで思いをはせた観光を目指そうというのがエコツーリズム。
  • 宿泊型交流体験施設「ねねんぼ」も完成。
    • 地域ぐるみの取り組みが始まっている。
    • 公式HP→ねねんぼう
アサヒタウンズ
奥多摩駅 >>戻る
2007.04.12
  • 駅舎に漂う山里の雰囲気
  • 多摩の始発駅
  • 標高343メートル、東京都内のJRの駅では最も高い所にある。
    • 丸太と白壁の山小屋風の駅舎。
    • 駅を囲むように、町役場、こぢんまりとした商店街、石灰の砕石工場、小学校。
    • 駅が町の核になっている。
    • 「町がテレビで紹介される場合、たいてい駅の映像から始まる」と町産業観光課。
  • 戦時中、地元で産出される石灰運搬を目的に開業。
    • その搬出量が全国一だった時代もあったが、輸送手段がトラックに移り、9年前に石灰の貨物列車は姿を消した。
    • 現在は奥多摩観光の玄関口として知られる。
アサヒタウンズ
2006.06.09
  • 駅2階に「奥多摩ステーションギャラリー」がオープンした。
    • 町の活性化のために、倉庫と化していた2階部分をギャラリーとそば屋「そばの花」に改築。
    • ギャラリーでは写友会による、季節の花の風景をテーマとした写真が飾られている。
    • 「そばの花」では、田舎そば、ヤマメの塩焼き(各\400)など、奥多摩の味。
      • そばは、名産のワサビをめんつゆではなく、直接そばに付けていただくのが奥多摩流
よみうりGood-Days
奥多摩湖 >>戻る
2008.01.10
  • 桜のにぎわい再生へ
  • 奥多摩湖畔 枯れ木・病害虫で花つかず
  • ヤマザクラ中心に植樹
  • 多くの花が咲き誇る情景から「一目一万本」と言われ、観光客の目を楽しませた奥多摩湖周辺の桜が危機的状態に陥っている。
    • 都民の水がめ「小河内ダム」が1957年(昭和32)に完成したのに合わせ、都が湖畔に植えた。
    • しかし半世紀を経たいま、その大半は病害虫に冒され、ほとんど花をつけなくなっている。
    • 往時のにぎわいを取り戻そうと、都は桜の再生へ乗り出した。
  • 奥多摩湖畔では自生種を含め5種類の桜が見られ、本来なら4月中旬から約1カ月、見頃が続く。
    • しかし現在、その多くが枯れたり病害虫に冒されたりして、十分に花をつける木は少ない。
  • 多く枯れたのは密植が一因と見られる。
    • またソメイヨシノは病気に弱く奥多摩の地質にも合わないとして、東京都水道局は、自生種のヤマザクラを中心に、適正値とされる1ヘクタール当たり200〜300本になるよう植樹する計画を立てた。
2007.08.21
  • 「湖底の故郷」に望郷の念
  • 小河内の鹿島踊
  • ふるさと芸能帳
  • ダムの完成がちょうど50年前の1957年(昭和32)。
  • 9月9日の小河内神社の祭礼には、今年もかつて村々にあった郷土芸能の獅子舞や花神楽と共に鹿島踊が奉納される。
    • この鹿島踊は茨城県の鹿島神宮から広まり、関東、伊豆地方に見られるものとは異なり、一説では京から落ちのびて来た公卿が村人に教えたという。
2006.10.29
  • 沈んだ村、いまを問う
  • 湖底の温泉
  • 多摩水と人と
  • 「村の歴史を語れる人は年々少なくなっています」。
  • ふるさとを失った人たちの上に、東京の発展があった」と改めて考えさせられた。
2006.10.27
  • 新施設建設へ光差す
  • 湖底の温泉
  • 多摩水と人と
  • 1991年(平成3)、湖底に沈んだ旧小河内村の人たちの熱望久しかった「鶴の湯温泉」が復活し、湖畔は沸き返った。
    • 30数年ぶりに湖畔によみがえった秘湯の人気をあてこみ、約20軒の旅館や民宿が配湯を申し込んだ。
  • あれから15年・・・。
    • 温泉施設は半数以下に減ってしまった。
    • 過疎と高齢化が進み、若者の雇用の場の確保も困難。
  • 湖畔を覆う厳しい現実を、何とか打ち破ろうと旧小河内村出身者でつくる奥多摩湖愛護会は奮闘している。
    • 同会の理事長と事務局長の2人が思いめぐらすのは「鶴の湯温泉」の新たな活用法。
    • 湖畔に入浴施設を建てようと、町に働きかけている。
  • 奥多摩町には、豊かな自然を求めて年間約170万人が訪れる。
    • 登山や散策を楽しむ、そうした人たちを温泉に引き込みたいと、2人は考える。
    • 8年前、町内に開業した奥多摩温泉「もえぎの湯」には年間14万人が訪れている。
    • 「風光明媚な湖畔なら、もっと多くの人に訪れてもらえるはずだ」
2006.10.26
  • 村の記憶伝える語り部
  • 湖底の温泉
  • 多摩水と人と
2006.10.25
  • 先人が託した宝の水
  • 湖底の温泉
  • 多摩水と人と
  • 鶴の湯温泉の歴史は、南北朝時代の1361(延文6)年までさかのぼる。
    • 矢で傷ついた鶴が温泉で傷を癒したのが、その名の由来。
    • 江戸時代には名士や文人墨客が来遊したという。
  • 「歴史ある温泉が湖底に没するのはしのびない」。
    • ダム建設が進むなか、村の人たちは都に温泉を残してくれるよう陳情した。
  • 都は1954年(昭和29)に調査を始め、4年をかけて温泉を湖畔まで引き揚げる工事をした。
    • 念願はかなったものの、その後、30数年間にわたり、温泉は使われることがなかった。
    • 湯の権利者が複数いて、温泉の新たな活用が見出せなかったという。
  • 当時、水没した出身者でつくる奥多摩湖愛護会の理事長を務めていた古屋さん(70)は、権利者の元に幾度となく足を運び、権利を譲ってくれるよう申し入れ、「小河内の地域を救ってください」と訴え続けた。
2006.10.24
  • 癒しの湯、住民が復活
  • 湖底の温泉
  • 多摩水と人と
  • 湖畔には、湖底に沈んだ旧小河内村から移転した人たち170世帯・約350人が暮らす。
  • ダムが完成した頃、巨大ダムと人工湖を一目見ようと見学者が大勢訪れ、湖畔は賑わった。
    • 山間の道に連なる観光バスの列に、移転した人たちは「これからは観光で食べていける」と期待した。
    • だが、十数年で陰りが見え始めた。
    • 湖畔に再び賑わいを取り戻そう−。
  • その柱として熱望されたのが湖底に沈んだ「鶴の湯温泉」の復活だった。
    • 湖底の源泉は枯れることなく、脈々と息づいていた。
    • ダムの建設で湖底に沈み、使われることのなかった源泉を15年前に、地元の人たちがよみがえらせた。
  • 湖畔の集落をほぼ毎日のように温泉を積んだ1台のタンクローリーが巡る。
    • 日に3度、旅館と民宿を回って専用のタンクに湯を補充する。
    • 月に1度は、集落の人たちに無料で湯を配り、喜ばれている。
2006.08.29
  • 水道水専用で日本最大
  • 涼景・奥多摩の夏
  • 1957年(昭和32)に完成した小河内ダムによってできた人工湖。
    • 周囲45.37キロメートル。
    • 都民が利用する水の約2割を供給する。
    • 建設が始まったのは1938年(昭和13)。
      • 太平洋戦争で一時中断、1948年(昭和23)に再開した。
      • 旧小河内村が沈み、945世帯が移転したという。
    • 水道水として利用しているため、湖面は開放していない。
  • 200メートルを超す浮橋が架けられ、対岸まで歩いて渡れる。
    • 当初はドラム缶を並べていたことから、通称「ドラム缶橋」とも呼ばれる。
    • 現在は樹脂製のフロートが使われている。
  • 昨年から、湖南側の管理用通路6キロを「奥多摩湖いこいの路(みち)」として開放。
奥多摩湖いこいの路(みち) >>戻る
2008.07.10
  • 風に揺れる湖面 踏みしめて楽しむ
  • 奥多摩の浮橋
  • たまの里
アサヒタウンズ
  • 湖岸開放進み生活道路から観光道路へ
  • 奥多摩の浮橋
  • たまの里
2007.05.10
  • 湖を眺めて12キロのウォーキング
  • 「奥多摩湖いこいの路」全線開通
  • いこいの路は、もともとはダムの管理道路だった。
    • 1975(昭和50)年代までは一般の人も自由に出入りできたが、路肩や崖が崩れるなどしたため、20数年前から通行止めになっていた。
    • ウオーキング道路として活用したいという地元の要望もあり、都水道局が4年前から、道路の改修や、柵や休憩所、案内看板などを設置する工事を進めてきた。
  • 湖の反対側の青梅街道は交通量も多く、ゆっくり歩きながらの湖畔巡りは、これまで難しかった。
2007.04.29
  • 誕生50年、奥多摩湖に新散策路
  • 奥多摩湖で都水道局が整備していた新しい散策路の開通式があり約100人が歩き初めをした。
    • 小河内ダムから湖の南岸を巡り、都の自然公園施設である「山のふるさと村」まで約12キロを歩くことができる。
奥多摩湖畔公園(山のふるさと村) >>戻る
2009.03.27
  • 奥多摩町委託金流用訴訟
  • 4000万円の賠償命じる
  • 元課長遺族らに
  • 地裁八王子支部は、「山のふるさと村」の委託金をめぐる不正流用で、流用を認めて自殺した元総務課長の遺族4人や当時の担当職員に総額4千万円の支払いを命じた。
    • 課長は担当職員に命じて架空の請求書を作成、木工教室の講師料などと偽って、計約4千万円を不正に支出させていた。
2008.08.22
  • 間伐材ペンダント 「木のあそび」人気
奥多摩せせらぎの里美術館 >>戻る
2008.04.23
  • 自然描写 広がる共感
  • 谷川岳で遭難、教員画家没後20年展
  • 奥多摩での展覧会で専門家の目に留まる
  • 八王子市立川口小学校の教員だった犬塚勉さん(当時38)。
    • 1988年(昭和63)、悪天候を押して「水を見に行く」と妻に言い残し、帰らぬ人になった。
    • 七回忌をきっかけに友人らがせせらぎの里美術館で毎年開いている展覧会が専門家の目に留まり、銀座や長野県での開催も決まった。
2007.09
  • 奥多摩ゆかりの作品展示
  • あーと多摩
  • せせらぎの里美術館は1993年(平成5)、江戸末期か明治初期の建築らしい町内の家屋は解体されたが、その建材などを再利用して建てられた。
    • 企画展は奥多摩や多摩地区に縁のある作家や作品展示が中心。
    • 地元美術団体や西多摩地区の障害者展なども定期的に催している。
定年時代(朝日新聞付録)
奥多摩ビジターセンター >>戻る
2008.02.14
  • 山登りのコツを体験 「面白さも伝えたい」
  • 奥多摩ビジターセンターに「壁」
  • 縦3メートル、横約5.5メートルのクライミング用の壁が設置された。
    • 子ども用、初級、中級、上級の4コースを作り、それぞれ色分けされた番号をつかんでいけばゴールにたどり着く。
    • この壁で、30通りのコースを作ることが可能。
    • 近くの氷川小学校の子どもたちは毎日やって来る「常連」。
  • 登山道は時折岩場があり、的確な体重移動とバランスが要求される。
    • クライミングの基本技術「3点支持」は、両手、両足の4点のうち、常に3点を身体の維持に、残りの1点で次の手がかり、足がかりに動かして、登ったり下ったりする初歩的な技術。
    • この壁を使って3点支持の訓練をすることは、けがの防止にもなる。
    • 奥多摩の山はいきなり急な斜面があり、谷が深い。毎年数人が命を落としている。
アサヒタウンズ
小河内ダム(おごうちダム) >>戻る
2007.11.14
  • 完成から50年
  • 望郷と誇り 交錯
  • 式典に旧村民300人
  • 旧小河内村は農林業を主体とした静かな山村だった。
    • ダム建設の話が持ち上がった1931(昭和6)年、反対の声が上がったものの、1938(昭和13)年に着工。
    • 戦争をはさんで完成する1957(昭和32)年までに、全945世帯が順次、移転した。
    • 奥多摩湖周辺にとどまったのは約3分の1。
    • 多くの世帯は多摩地域や山梨県まで退いた。
  • 約20年に及ぶ大工事では87人の犠牲者が出た。
    • 青梅市に移転し、ダム建設に携わった山本さん(88)は義理の兄を事故で亡くした。
    • 「安全設備も不十分な中での事故。仕事だから仕方ない」と割り切ったという。
    • 「同窓会は1回も開けていない。同級生にも会いたい」。
    • 50年たった今、若い時代を過ごしたふるさとを失った寂しさは消えない。
    • しかし建設に携わったダムが都民の生活を支えている。
    • その「誇り」は胸にある。
雲取山(くもとりやま) >>戻る
2006.08.15
  • マイペース登山に魅力
  • 涼景・奥多摩の夏
  • 日本百名山の一つで、都内最高峰の2017メートル。
    • 四季によって表情を変える富士山や、眼下の東京タワーまで見えるという夜景がおすすめ。
  • 「山頂一帯は原生林のまま。シカやテン、オコジョなどかわいい小動物もいっぱい。東京にもこんなところがあるんですよ」と山頂近くの雲取山荘を経営する新井さん(71)。
日原鍾乳洞 >>戻る
2007.07.19
  • 自然が作り上げた地下の造形美
  • 標高650メートルの所にあり、延長1270メートル(見学できるのは800メートル)、高低差134メートルという東京都天然記念物で都内最大規模の鍾乳洞。
    • 中の温度は8度。
    • かつては山岳信仰の修験者が松明(たいまつ)をたいて修行した所。
    • 1962(昭和37)年に発見された新洞には1センチ伸びるのに約130年かかるという石筍(せきじゅん)、約70年かかる鍾乳石などが乱立する。
アサヒタウンズ
2006.08.18
  • 時が築いた神秘さ圧巻
  • 涼景・奥多摩の夏
  • 一周約800メートルで、関東随一の規模を誇る。
    • 気温は一年を通して約10度。
    • 一番奥には、高さ約30メートルにもなる巨大な空洞が広がる。
    • 鍾乳石は1センチ伸びるのに70〜130年かかるといわれる。
      • 大きく成長した鍾乳石には数十万年以上の時が積み重ねられている。
  • 年間7万人以上が訪れるが、鎌倉時代以降は修験道の聖地として自然信仰を集めたという。
    • その名残か、洞内には、祠や地蔵などもある。
  • 当地区にある体験型宿泊施設「ねねんぼう」に予約すれば、一般には公開されていない、さらに奥を、ガイドとヘッドライトの明かりを頼りに進むことができる。
鳩ノ巣渓谷 >>戻る
2008.04.11
  • 癒しの店閉店へ
  • 喫茶「ギャラリーぽっぽ」
  • 「夫看病、私しか」決断
  • 新しい経営者求める
  • JR青梅線鳩ノ巣駅から徒歩5分。
    • 坂道を下ると釣り橋のたもとに店の看板が見える。
    • 2階建ての家が渓谷の中腹に構える。
  • 経営者の上石洋子さん(66)。
    • 地元出身だが20歳で結婚して八王子市に移った。
    • 1993(平成5)年、趣味の絵画グループとこの場所を初めて訪れ、景観に魅了された。
    • 同時に釣り橋のたもとに建つ荒れ放題になった親類の建物の姿にショックも受けた。
      • 「ほおってはおけない」。
      • 親類の協力で家を再建し、自己資金を投入して内装を施した。
  • 8年前、テレビ放送をきっかけに1日200人が訪れる人気店に。
    • 「奥多摩の安らぎの場」として鳩ノ巣が注目され、周囲の店も相乗効果を喜んだ。
    • カウンターも昨年新装したばかり。
    • 30人ほどが入場できるミニコンサートは計80回を超える。
      • 場所の良さから少ないギャラでも出演者が絶えなかった。
  • ところが、昨年、黙って妻を支えてきた同い年の夫ががんの宣告を受け、術語の看病が必要になった。
    • 「店は他の人でも経営できる。夫を看病するのは私しかできない」と決断した。
  • ※(新オーナーによりオープンするようだ)
2007.03.31
  • ご当地ソングで「思い出作って」
  • 「鳩の巣小橋」周辺歌う
  • 喫茶店経営者がCD制作
  • 釣り橋「鳩の巣小橋」周辺の情景を歌ったCD「鳩の巣旅情」が完成。
    • 手がけたのは小橋の脇で喫茶兼土産物店「ギャラリーぽっぽ」を経営する上石洋子さん(65)。
    • 「歌を契機に街おこしにつながれば」との願いを込める。CDは2曲入りで1200円。
      • 「ギャラリーぽっぽ」(木休)で販売。
  • 小橋は、高さ40メートルの切り立った崖の間を縫うように流れる多摩川に架けられており、長さ35メートル、幅1.65メートル。
2006.10.31
  • 秋の彩りに包まれる鳩ノ巣渓谷へ
  • 東京のオアシス
  • 江戸の振袖大火の際に、良材を求めて山に入った人たちの飯場小屋が建てられた。
    • 側に祭った神社の森に営巣した2羽の鳩の仲むつまじい様子が、人々の心を和ませ、「鳩の巣のところ」と呼んだことから鳩ノ巣の名がついたという。
  • 渓谷を上ると白丸湖に出る。
    • 1963(昭和38)年に東京都交通局が建設した発電用のダム湖。
      • 3発電所合わせて、一般家庭約3万4千世帯分の電力を供給している。
広報東京都
2006.08.23
  • 渓流見下ろし渡れば迫力
  • 涼景・奥多摩の夏
  • 鳩の巣小橋
  • 鳩の巣小橋は長さ35メートル、幅1.65メートルの釣り橋で、東京都が1970(昭和45)年にかけた。
    • 山里の風情を残すこの一帯は、奥多摩随一の渓谷美を誇ると言われ、観光客のほか写真愛好家や釣り人らが訪れる。
  • 人気なのが、左岸の橋脇にある喫茶兼土産物店「ギャラリーぽっぽ」。
    • 絶壁にせり出すように建つ店からの眺望は最高。
三ツ釜の滝 >>戻る
2006.08.15
  • 清流と渓谷織りなす美
  • 涼景・奥多摩の夏
  • 奥多摩町南東部の大岳山(1266m)の北面登山コース沿いの海沢(うなざわ)に、連続してある三滝の一つで最も上流にある「大滝」。
  • 最も下流の「三ツ釜の滝」は3段になった落差18メートルの岩肌を滑り落ちる。
    • 三つの滝つぼが鍋釜のように見えることから名がついた。
  • その上流にあるのが「ネジレの滝」。
    • 文字通り「く」の字形にねじれた落差10メートルの滝。
  • 清流と渓谷が織りなす美しさから、2000(平成12)年に東京都の名勝に指定された。
1994.08.11
  • 豊富な水量 山中に轟音
  • 奥多摩町は、町内でもすぐれた景観を残す場所を「巨樹と名水」に指定している。
    • 滝も含まれ、おもだった16カ所が選ばれている。
    • 「昔から地域でも有名なところがえらばれています」と町社会教育課の古矢さん(50)。
  • 名水の「滝」の中から、初めて見物する人が行きやすいところを挙げてもらった。
    • 「大きさで選べば百尋の滝(ひゃくひろのたき)。落差は約40メートルあります。最寄りのバス停からは6キロほど上がるでしょうか。」
    • 「もう少し距離の短いところでは三ツ釜の滝。奥多摩駅から4、5キロくらいです。」