硫黄島
いおうとう |
グーグルアース座標=N24 46 51.92 E141 19 30.31 |
地図 |
概要 |
- 東京都小笠原村に属する
- 北太平洋西部、小笠原諸島に含まれる、3島からなる火山性の硫黄列島の主島
- 他の2島は北硫黄島、南硫黄島
- 台湾北部とほぼ同緯度にある
- 太平洋戦争時に島民たちが強制疎開させられるまで地元では「いおうとう」と呼んでいたが、戦後のアメリカ軍政下で「いおうじま」と呼ばれるようになった
- 当時の地元住民の要望で国土地理院により2007(平成19)年、「いおうとう」に変更された
- 1779年(江戸時代中期)、クック探検隊が到達し、1891(明治24)年、日本の領土となった
- かつては1000人以上の島民がおり、島名の由来ともなっている硫黄の採掘やサトウキビの栽培などを行っていた
- 太平洋戦争中の1944(昭和19)年、島民は強制疎開させられ、戦争末期にはアメリカ軍との激戦がくりひろげられた
- 戦後アメリカ軍政下にあったが、1968(昭和43)年に返還されてからは自衛隊の海上自衛隊と航空自衛隊の航空基地が置かれる
- 旧島民の帰島、及び民間人の上陸は現在も許可されていない
- 戦没者の遺骨帰還作業は行われている
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- 硫黄島の戦い(Battle of Iwo Jima)
- 1945(昭和20)年2月から3月にかけて行われた攻防では、日本軍2万129人が戦死、米軍は戦死6,821名を含む2万8686人の戦死傷者を出す大激戦が繰り広げられた
- 3月17日、硫黄島は米軍に占領される
- 摺鉢山(すりばちやま)に米軍海兵隊によって星条旗を掲げる際に撮った写真は、戦没者専用墓地であるアメリカのバージニア州のアーリントン国立墓地にある「合衆国海兵隊記念碑」のモデルにもなっている
- 俳優で映画監督であるクリント・イーストウッドによる、硫黄島の戦いをアメリカからの視点で描いた映画「父親たちの星条旗」(Flags of Our Fathers)(2006(平成18)年)、日本側からの視点で描いた「硫黄島(いおうじま)からの手紙」(Letters from Iwo Jima)(2006(平成18)年)は話題になった
- この映画はアメリカ国内でも高い評価を得、日本でもこの映画により硫黄島や硫黄島の戦い、指揮官の栗林忠道陸軍中将やバロン西と呼ばれたオリンピック馬術の金メダリスト西竹一(にし たけいち)陸軍中佐などが注目された
- 当時小笠原村には硫黄島にはどうやって行くのかという問い合わせが殺到したという
- 鹿児島県三島村にも同名の硫黄島(いおうじま)(居住あり)があるため、これと勘違いした人もいる、という報道もあった
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硫黄島の記事 |
リンク |
関連HP |
硫黄島協会(2011年にはサイトが存在していたが、2013年には消えていた) |
URL確認 (2014.05時点) |
最終更新:2013.04.19 |
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