- コンドルによる設計
- 1853年(幕末)の安政五カ国条約で日本は欧米諸国から不平等条約を押しつけられた
- その改正交渉にあたった外務卿井上馨(いのうえ かおる)は、日本の開化を諸外国に認めさせるには欧化政策が適当と考え、伊藤博文首相らとともに上流社会の欧化を進めた
- 鹿鳴館はその舞台とされた
- 園遊会、仮装舞踏会、バザーなどが頻繁に開かれ、鹿鳴館時代と呼ばれる上流社会の流行を生んだが、表面的なものとして世間から批判もされた
- 1887(明治20)年の井上の辞任により鹿鳴館時代は終わった
- 1941(昭和16)年、取り壊される
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