- 行田市の古墳時代から昭和30年代(1955年頃)までの歴史、文化、特に、かつての主力産業だった足袋について展示している。
- 1988(昭和63)年、かつて忍城(おしじょう)の本丸があったところに1988年(昭和63)に開館。
- 忍城の実質的な天守閣といえる御三階櫓を復元していて、最上階が展望台になっている。
- 御三階櫓の外観、構造、位置などは根拠がないらしい。
- 足袋について
- 記録にある最も古いものは、1765年(明和2)で、足袋が特産品とある。
- 江戸時代の終わりには最大の産業となっていた。
- 明治時代、生産に必要のため、足袋商が集まって、電気会社、銀行、馬車鉄道などを作った。
- 第2次世界大戦の後は需要が減ったため衰退した。
- 忍城について
- 1479(文明11)年頃(戦国時代)に成田氏により築かれる。
- 沼地を利用した堀に囲まれていた。
- 1590年(天正18)(安土桃山時代)に豊臣秀吉と小田原の北条氏との戦いの中で、成田氏は北条氏側だったため、豊臣側の石田三成により忍城は攻められる。
- 石田三成は川に総延長28kmの堤を築いて水を流し込んむ水攻めを行った。堤の跡は現在、石田堤史跡公園(鴻巣市)になっている。
- しかし忍城は耐え抜いたため、「浮き城」と呼ばれた。
- 「浮き城」は現在も行田のキャッチフレーズになっている。
- 水攻めには耐えたが、小田原城(神奈川県小田原市)が開城したため、忍城も開城し徳川家康のものとなる。
- その後、城主は移り変わり、1873(明治6)年に売却され取り壊された。
- 続日本100名城に選ばれている。
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