鐘はレプリカで、j本物は館内にある。

写真6:歩道橋の上から

写真3:展望台からの眺め

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写真7

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写真4

写真3

写真1

写真7:忍城にあった鐘楼

水城公園がある方向

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■チケット

写真4:忍城

写真5:忍城

■埼玉県行田市郷土博物館の情報、地図、概要

行田市郷土博物館
忍城御三階櫓(復元)
晴れていれば富士山が見えるはず
埼玉県行田市本丸
グーグルアース座標(忍城)N36 8 15.84 E139 27 14.63
地図地図
撮影日:2005/7/21
写真1:郷土博物館の入口
概要
  • 行田市の古墳時代から昭和30年代(1955年頃)までの歴史、文化、特に、かつての主力産業だった足袋について展示している。
  • 1988(昭和63)年、かつて忍城(おしじょう)本丸があったところに1988年(昭和63)に開館。
  • 忍城の実質的な天守閣といえる御三階櫓を復元していて、最上階が展望台になっている。
    • 御三階櫓の外観、構造、位置などは根拠がないらしい。
    • 足袋について
      • 記録にある最も古いものは、1765年(明和2)で、足袋が特産品とある。
      • 江戸時代の終わりには最大の産業となっていた。
      • 明治時代、生産に必要のため、足袋商が集まって、電気会社、銀行、馬車鉄道などを作った。
      • 第2次世界大戦の後は需要が減ったため衰退した。
    • 忍城について
      • 1479(文明11)年頃(戦国時代)に成田氏により築かれる。
      • 沼地を利用した堀に囲まれていた。
      • 1590年(天正18)(安土桃山時代)豊臣秀吉と小田原の北条氏との戦いの中で、成田氏は北条氏側だったため、豊臣側の石田三成により忍城は攻められる。
      • 石田三成は川に総延長28kmの堤を築いて水を流し込んむ水攻めを行った。堤の跡は現在、石田堤史跡公園(鴻巣市)になっている。
      • しかし忍城は耐え抜いたため、「浮き城」と呼ばれた。
        • 「浮き城」は現在も行田のキャッチフレーズになっている。
      • 水攻めには耐えたが、小田原城(神奈川県小田原市)が開城したため、忍城も開城し徳川家康のものとなる。
      • その後、城主は移り変わり、1873(明治6)年に売却され取り壊された。
  • 開館時間:9:00AM-4:30PM
  • 休館日:月,祝日の翌日,毎月第4金曜日
  • 入館料:200円
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写真2:忍城の最上階の展望台