- 概要
- 神経ガスのサリンが散布され、死者8人・重軽傷者660人を出した。
- この事件は、戦争状態にない国で一般市民に対して初めて化学兵器が使用されたテロ事件ということ以外に、警察及びメディアによる無実の人間が犯人扱いをされた冤罪・報道被害事件という側面も持ち、後年も特筆するべき事件となった。
- 警察庁による事件名は「松本市内における毒物使用多数殺人事件」。
- 現場は中心市街地、松本城の北東約1kmの住宅街。
- 背景
- オウム真理教松本支部の立ち退きを周辺住民が求めていた裁判で、敗訴が濃厚になってきたことから、担当判事が住む裁判所官舎近くの住宅街にサリンを散布したという。
- 冤罪
- 警察は第一通報者であった河野義行(こうの よしゆき)氏を重要参考人として執拗な取り調べを行った。
- マスコミ各社は警察発表をそのまま垂れ流し、冤罪を助長していった。
- 河野氏の「奇怪な家系図」という記事を掲載した週刊誌もあった。
- 有名ニュースキャスターも番組内で河野氏への疑念を表明していた。
- サリンは農薬から作ることができる、という間違いが広まったが(河野氏宅に農薬があった)、農薬は身近なものだと思われる長野県の地元紙、信濃毎日新聞が積極的にこの間違いを広めたという。
- 全国各地から河野氏宅へ誹謗中傷の電話、手紙が届いたという。
- この状態は翌1995(平成7)年に起きた東京での地下鉄サリン事件の解明によって冤罪だったことが判明し解消される。
- 謝罪
- 後に当時の国家公安委員長が河野氏に直接謝罪を行った。
- マスコミ各社で公式に謝罪を行った会社はほとんどない。
- 2000(平成12)年、アレフに再編したオウム真理教が直接謝罪した。
- 河野氏は、当時の長野県知事田中康夫によって事件の教訓を生かすため、長野県警を監督する長野県公安委員に任命された。
- 河野氏の妻もサリンにより意識不明になっていたが、一度も意識を取り戻すことなく、14年後の2008(平成20)年に亡くなった。
- この冤罪事件は、2000(平成12)年、熊井啓監督により、「日本の黒い夏─冤罪」として映画化された。
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