歴史・人物
頼山陽 らい さんよう
  • 朱子学者頼春水の長男として大坂に生まれる。
    • 父の広島藩儒登用にともない広島に移住する。
      • 幼時から詩文の才能を発揮したが、神経症にも悩まされた。
    • 18歳で江戸に遊学するが神経症のため翌年帰郷。
    • 21歳のとき脱藩したが、連れ戻され26歳まで自宅に幽閉される。
      • このころから「日本外史」の執筆を始めてている。
  • 1809(文化6)年、備後の菅茶山の廉塾の後継者として招かれるが、1年余で京に出て、私塾を開く。
    • その後、京都を中心に活躍し、門弟教育のかたわら多くの文人墨客と交流する。
    • 1826(文政9)年、「日本外史」を完成させ、翌年松平定信に献上する。
    • 朱子学を信奉したが、実用の学問を重視して経世済民(けいせいさいみん)を説く。
    • 「日本外史」「日本政記」は死後出版され、幕末・維新期の志士たちに影響を与えた。
  • 川中島の戦での武田謙信の軍勢の様子を詠んだ「鞭声粛々(べんせい しゅくしゅく)、夜河を渡る(よるかわをわたる)・・・」が有名
  • 参考:エンカルタ2007
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2011.01.22

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