荻原碌山
おぎわら ろくざん
日本の近代彫刻を開いた彫刻家。
1879(明治12)年-1910(明治43)年
(32歳)
本名は守衛
(もりえ)
彫刻「女」と「北條虎吉像」が
重要文化財
。
当時出品された展覧会では、いずれも3等賞だった。
■
碌山美術館
(長野県安曇野市)
2004/5/15
2010.02.11
荻原碌山の年表
西暦
日本-年代
荻原碌山-出来事
日本-出来事
1879
明治
(明治12) 長野県南安曇郡東穂高村
(現・長野県安曇野市)
に生まれる。
1894
日清戦争
、勃発
1901
(明治34) 渡米してニューヨークで絵画の勉強をする。
1903
(明治36) フランスに渡る。
1904
(明治37)
ロダン
の「考える人」を見て感動し、彫刻に転向することを決意する。
日露戦争
、勃発
1908
(明治41) 同郷の先輩、相馬愛蔵、相馬黒光
(そうま こっこう)
夫妻の経営する新宿中村屋近くにアトリエを設ける。
1910
(明治43) 中村屋で突然喀血し、32歳で急死。
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