- 1849-1912(大正元)年(62歳)
- 長州藩(現・山口県)の支藩である長府藩の藩士の3男として江戸に生まれる。
- 学者志望だったが、軍人だった従兄の勧めで軍人を志す。
- 1877(明治10)年、西南戦争に連隊長として参加する。
- 1894(明治27)年〜1895(明治28)年の日清戦争で歩兵旅団長として旅順(現・中国遼寧省大連市)を攻略する。
- 1896(明治29)年、台湾総督になる。
- 1904(明治37)年、日露戦争で司令官に任命され、旅順を攻略する。
- しかし、指揮のまずさから攻略に5カ月かかり、その間に13万人の兵員を投入、約6万人が戦死した。
- 日露戦争においては、乃木の2人の息子も戦死している。
- 1912(大正元)年、明治天皇大喪(葬式)の日に、妻とともに割腹自殺した。
- 遺書の内容から、西南戦争での指揮の不手際から、連隊旗手が戦死し、連隊旗が奪われたことが、生涯心に残っていたこと、それが殉死の遠因であったことも推察された。
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