- 1878(明治11)年〜1963(昭和38)年(84歳)
- 1904(明治37)年〜1910(明治43)年、パナマ運河において、最初は測量員として働いたが、その力量を認められ、設計を担当するようになった。
- 帰国後、国家的プロジェクトを指揮するようになった。
- その一つ、荒川の治水工事は、あまりにも大規模だったため、そこまでする必要はないのではないかと批判もあった。
- しかし、関東大震災でもびくともしなかったため、その正しさが認められた。
- パナマ運河工事のことはあまり語らなかったが、晩年、家族に「美談とされているが、単に仕事がなくて探しに行っただけ」と語っていたという。
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