行事 |
雛祭り |
ひなまつり |
- 中国を起源とする、雛人形を飾り、桃の花、菱餅(ひしもち)、菓子、白酒などを供えてまつる、3月3日の節供行事。
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- 桃の節供、女の節供ともいう。
- 雛は紙でつくった小さな人形のことで、平安時代には貴族の女子が「雛(ひいな)遊び」を楽しんでいる。
- 雛段飾り
- 一般的な7段飾りでは、上段に内裏雛(だいりびな)(2人)、第2段官女(3人)、第3段五人囃子(ごにんばやし)、第4段随身(ずいじん)(2人)、第5段雛道具、第6段衛士(えじ)(3人)、第7段駕籠(かご)と御所車のように飾られる。
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- 歴史
- 中国の漢代(日本−弥生時代)には、3月の最初の巳(み)の日である上巳(じょうし)に水辺で身を清める節供行事があった。
- 魏(ぎ)の頃(日本−弥生時代)には、呼称は上巳節のままだが3月3日に固定するようになり、晋(しん)代(日本−古墳時代)には杯を流水に浮かべて詩歌をよみあう遊びの曲水の宴が行われた。
- 日本にも伝わり、大宝律令施行の701年(大宝元)(飛鳥時代末期)の3月3日には宮中で宴が催され、730年(天平2)(奈良時代前期)には曲水の宴がもうけられている。
- 律令はこの日の宴を節会(せちえ)の一つに定め、江戸幕府は、上巳節を五節供の一つとした。
- 日本でも古くから、水で身を清めて穢(けが)れを祓(はら)う禊(みそぎ)が行われていた。
- また中国から形代(かたしろ)による呪法(じゅほう)が入り、その一つの人形(ひとがた)(紙・布・木などで人の形を模した呪具)で、身体をさすって身の穢れや病をうつすことが行われた。
- この禊祓いや人形に込められた思いが、中国の上巳節や雛遊びと結びつき、雛祭になっていったとみられる。
- 今もまつり終わった雛人形を川に流す流し雛の風習が各地にあり、穢れを祓う心を伝えるものと考えられている。
- 雛祭の原型はいちおう室町時代頃にはあったようだが、神を迎えて災厄を祓い、男女の健やかな成長を願う行事が、江戸中期には雛祭と呼称され、次第に女子の祭りとなった。
- 初めは紙雛と内裏雛(だいりびな)を毛氈(もうせん)に並べていたのが段飾りとなり、江戸後期には現在のような見事な段飾りが勢ぞろいする。
- 旧暦3〜4月、なかでも3月3日には、山遊び・野遊び・磯遊びなどの行事が各地にみられた。
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関連 |
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関連HP |
ひなまつりドットコム |
*2012.06.13/2010.11.17 |