雛人形 ひなにんぎょう
  • 雛人形という名称は江戸時代になって生まれたもの。
  • 歴史
    • 平安時代にはその前身ともいうべき「ひいな」の遊びがあった。
      • 「ひいな」は、小さくかわいい意味の古語で、貴族社会では男女一対の小さな紙人形を用いてままごと遊びなどが行われ、それを「ひいな遊び」といった。
        • 人形は立った姿の紙雛風のものと推定されるが、これを中心に、貴族の暮らしをまねた館や、食器などの調度を揃(そろ)えて遊んだ。
        • 貴族家庭の少女の人形遊びであり、3月の節供とはまだ関係はなかった。
      • それと別に、平安時代の頃から、季節の変わり目には神に供御(くご)(飲食物)を供えて身体の安泰を祈る信仰があり、それを節供といった。
        • 3月は上巳(じょうし)(最初の巳(み)の日)に、紙や植物で作った人形(ひとがた)(形代(かたしろ))で身体をなでて汚れを祓(はら)い、それを水に流して神送りする行事があった。
        • この信仰的な人形(ひとがた)も、雛人形を生み出す源流の一つとなった。
      • こうした人形遊びと、呪術(じゅじゅつ)用具としての雛形人形(ひとがた)の信仰とが互いに融(と)け合い、次第に雛人形への骨格を形成した。
    • 江戸時代に入り、太平の世相を迎え、3月の節供が盛んになると、雛遊びが一般化して雛祭に移行し、年中行事として3月3日に定着した。
      • それが広く流行するにつれて人形も発達し、様々な作品が飾られるようになって雛と呼ばれた。
  • 参考:YAHOO!百科事典
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