スペイン・人物 |
フランシスコ・ザビエル |
Francisco de Xavier |
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- 1506-1552
- ザビエルはスペイン語ではハビエル。
- 父は、ナバーラ王国の要職を務めていたが、1512年にカスティリャ軍に首都を占領されたため、父はフランスに逃げるが3年後に亡くなる。
- 1521年:ナバーラの有志が首都を奪還しようとしたが失敗する。
- このとき敵のカスティリャ軍にイグナティウスがいた。
- イグナティウスはこの戦いで重傷を負い、後に軍人をやめて宗教家となる。
- 1525年:ザビエルはパリ大学で修士号を得て、講師になる。
- ここでパリにやってきたイグナティウスと出会うがかつての敵でもあり、当初、反発していたという。
- 1534年:イグナティウスとその同志はイエズス会を結成し、ザビエルも一員になる。
- 1541年:ポルトガル国王はインド方面の布教のため、イエズス会を派遣することを決定する。
- 1542-1548年:ザビエルはインドのゴアを拠点にインド周辺の布教活動を行う。
- 1547年: マラッカ(現、マレーシアのムラカ)で日本人のアンジローと出会う。
- アンジローは故郷の鹿児島で殺人を犯し、逃亡していた。
- アンジローは洗礼を受け、教義の翻訳など、ザビエルを助けた。
- 1549年(天文18):アンジローを案内役に鹿児島に上陸し、10カ月間日本語を勉強する。
- 1550年:布教活動の許可を天皇から得るため京都に向かう。
- 1551年:京都に到着した一行は荒れ果てた都と衰退した皇室を目にする。
- 天皇との謁見もかなわなかった一行は、わずか11日の滞在で平戸(ひらど・長崎県)に戻り、山口などで布教活動を行う。
- この年、日本での滞在期間2年3カ月でインドに向かう。
- 1552年:仏教が中国から伝来したことを知ったザビエルは、中国の改宗の必要性を感じ、中国に向かう。
- マカオの近くの小島に上陸するが発病し、海辺の貧しい小屋で死去する。
- ザビエルによって開始された日本への布教は、続く宣教師たちによって引き継がれ、日本の文化にも大きな影響を与えていく。
- しかし、まもなく日本は鎖国の時代を迎え、キリシタン(信徒)は迫害されていくことになる。
- 1622年:ザビエルは聖人に列せられる。
- 遺体は現在もゴアの教会に安置されている。
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- ザビエルの見た日本(文庫1998)
- 聖フランシスコ・ザビエルの首(推理小説)(2004)
- 種子島の鉄砲とザビエル―日本史を塗り変えた“二つの衝撃”(文庫2005)
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関連HP |
山口ザビエル記念聖堂 |
■ザビエルが「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介した足利学校(栃木県足利市)
2007/5/9 |
2010.11.14 |
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