中国・人物
林則徐 りん そくじょ
  • 中国、の時代の政治家。
  • 1785〜1850(日本-江戸時代後期)
  • アヘンの撲滅に尽力。
    • これをきっかけに清とイギリスとの間にアヘン戦争が勃発する。
  • 清廉潔白な政治を貫き、後世から高い評価を得ている。

蓮峯廟内の「林則徐紀念館」横の林則徐の像(中国・マカオ)

2004/10/16

2010.03.10
林則徐の歴史
西暦 中国-年代 林則徐 中国-出来事 日本-年代
1785
  • 1785年 福建省の現、福州市に生まれる。
江戸
1811
  • 1811年 科挙に合格。
1837
  • 1837年 湖広総督に昇進、アヘン厳禁に成果をあげる。
1838
  • 1838年 アヘン問題解決のため、欽差大臣(特命全権大使)として唯一の対外貿易港である広州に派遣される。
1839
  • 1839年 アヘンの販売と吸飲を厳禁し、外国商人にアヘンの提出を厳命するとともに外国商館を封鎖し、さらにイギリス商務監督官エリオットを監禁したうえで、イギリス商人などから2万箱のアヘンを押収し、海岸で焼却した。
1840
  • 1840年 この年、両広総督に任ぜられたが、アヘン戦争が勃発し、清朝内では和平論者が主導権をにぎり、彼らによって戦争挑発者として断罪され、新疆省に流された。
  • 1840 イギリスは艦隊を派遣して「アヘン戦争」をしかけた。
1842
  • 1842 イギリスの近代的な軍事力の前に清軍はなすすべもなく敗北し、「南京条約」が結ばれた。
1843
  • 1843年 3年後、罪を許されて官界に復帰する。
1850
  • 1850年 欽差大臣として広西の太平天国の鎮圧に赴く途中で病死する。

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