阿片 |
あへん
Opium |
- ケシの未熟な果実を傷つけて出てくる乳液を乾燥させて作る麻薬。
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- ケシのおもな原産地は西アジア、インド一帯。
- 中毒性が強いので、日本では「あへん法」によって栽培、利用などが規制されている。
- アヘンは、茶褐色の餅状でまるい形にして商品化される。
- アヘンの作用の中心となるのは20種類以上含まれているアルカロイドで、そのうちのモルヒネが医療の場で鎮痛薬としてよく用いいられる。
- 現在ではメペリジン(ペチジン)のような化学合成剤も使われている。
- モルヒネからはヘロインが合成される。
- モルヒネの数倍の強さの鎮痛作用を持つが、依存性も強く、いっさい使われていない。
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- 脳内物質との類似
- 人間の脳内では、エンドルフィンやエンケファリンという鎮痛作用のある物質が作られている。
- アヘンの鎮痛薬としての働きは、これら物質とアヘンの分子構造が似ているだけでなく、アヘンが作用する神経の受容体(レセプター)と同じ受容体であるところから説明できるという。
- アヘン中毒
- アヘンは依存性の強い薬。
- アヘンを服用すると、初めは楽しく幸福な気分になる。
- しかし、連用していくうちに体が慣れて、その効き目が弱くなる。
- 同じような幸福感を得るには、体はもっと大量のアヘンを要求する。
- 次第に量が増えていき、アヘンがやめられなくなる。
- もしやめると、強い不快感を覚える。
- 初めは幸福感を求めて服用していたものが、最後には不快感を取り除こうとして、ますますやめられなくなる。
- 植民地主義とアヘン
- 紀元100年ごろ(日本-弥生時代後期)、アヘンは民間薬として、飲み物といっしょにとるか、固形のまま飲み込むかたちで服用されていた。
- 17世紀半ば(日本-江戸時代前期)、アヘンが中国に持ち込まれ、吸煙されるようになると、深刻な中毒問題が持ち上がってきた。
- 中国でのアヘン中毒は18世紀後半(日本-江戸時代中期)にはいよいよ深刻さを増し、官界にも広がった。
- 中国ではアヘンの規制と西欧とのアヘン貿易を禁じた。
- これが原因でアヘン戦争(1839〜42)(日本-江戸時代中期)が起こる。
- 同じころ、アヘンはヨーロッパと北アメリカに持ち込まれ、鎮痛薬という本来の目的をよそに、快楽を求めて利用され、中毒者をたくさん出すことになる。
- アヘンによる重大な被害を経験した中国では、アヘンを始めとする麻薬類には厳しい法規制を行っている。
- 医療への利用
- アメリカでは、南北戦争(1861〜65)(日本-江戸時代中期)の最中、皮下注射器が発明され、外科手術では麻酔用にモルヒネ注射が欠かせないものとなった。
- 当時医師は、モルヒネが直接体内に注入されれば、吸煙したり食べたりすることによる中毒症状をなくすことができると期待していた。
- しかし、結果は逆で、中毒者が増えてしまった。
- 1898(明治31)年にヘロインが作られたときも同じ期待があったが、やはり無くなるどころか、アヘンよりもはるかに強い依存性を示した。
- 法による規制
- アヘンは、世界的に生産、利用が規制されている。
- 日本でも1954(昭和29)年に「あへん法」が公布され、医療と学術研究用以外の栽培、利用は許可されていない。
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2011.06.05 |
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