中国 |
孔子 |
こうし |
|
- 紀元前551年〜紀元前479(日本-縄文時代)
- 魯(ろ)の国(現、山東省)に生まれる。
- 父親は魯の勇士として知られ、晩年は魯の村の代官だった。
- 孔子が生まれて3年後に父が死に、家族は貧困に苦しむ。
- 15歳のとき学問をしようと志をたて、19歳で結婚する。
- 教えを請う決まった教師を持たず、わからないことがあると、それを知る人を訪ねて、教えを求めた。
- 人としての生き方についての考察を深め、30歳の頃には、礼を知る人物として世間に知られるようになった。
- 孔子のもとに集まってきた弟子の集団を指導し、「弟子三千人」と言われるようになった。
- 政治に携わり、徳治が行なわれる世をつくろうとしたが、なかなかその機会が得られなかった。
- 50歳を過ぎた頃、認められ、司法大臣まで出世し、優れた行政手腕で魯の政治を安定させた。
- しかし、軍備を削減しようとしたが、後一歩のところで失敗した。
- その後、為政者たちが国政に怠けるようになり、その状況に絶望して旅に出る。
- 諸国を巡ったが、どの国にも仕えるべき理想の君主を見いだせないまま、14年が過ぎる。
- 69歳の時、弟子たちの尽力で、再び魯に戻り、大臣の待遇を受ける。
- しかし、直接政治には関わらず、古典の整理や教育に専念したのち没する。
|
- 「論語」:
- 弟子たちが孔子との問答を記録したものを、何代か後の弟子たちが編纂したもの。
- 「礼」:
- 礼は古代の聖人の定めた制度、法令、習慣、儀式、作法の総称である。統治する者は、自ら模範的に生きる「統治」を行なうべきであり、それに民は感化を受け、秩序ある社会が生まれ、国は繁栄し人民は幸福になるだろう、と説いている。
- 「仁(じん)」:
- 仁は人が元々持っている愛情であるが、内心にある利己的な良くない心に打ち勝って、伝統に基づく正しい行為、偏った考えでない行いも仁であると説く。
- 具体的には、真心と思いやりを実行せよ、父母を敬い「孝」であれ、また年長者に対して従順であれ(悌(てい))と説いた。
|
- 孔子自身は自分を聖人だとは思っていなかったが、弟子たちは孔子を聖人視するようになり、漢の時代以後、儒教が国教になると、その祖である孔子は聖人と見なされ、「万世の師表(永遠の先生)」として尊敬された。
|
- 「孔子」が題名の本 売り上げベスト3(Amazon 2007.08時点)
- 孔子―人間、どこまで大きくなれるか(文庫1996)
- マンガ 孔子の思想(文庫1994)
- 孔子伝(文庫2003)
|
■孔子の説いた「中庸」を教える「宥坐の器」(ゆうざのき) 足利学校(栃木県足利市)
2007/5/9 |
■足利学校で売られている論語の要約(栃木県足利市)
2007/5/9 |
■孔子像(湯島聖堂・東京都文京区)
2005/9/1 |
■孔子などを祀る四聖堂 哲学堂公園(東京都中野区)
2004/11/25 |
2007.08 |
|