中国
溥儀 ふぎ
  • 中国の清朝最後の皇帝で、その後満州国の皇帝になる。
  • 1906(明治39)年-1967(昭和42)年
  • 清朝皇帝の在位1908(明治41)年8〜1912(大正元)年
  • 姓は愛新覚羅(あいしんかくら)
  • 1906(明治39)年、清朝第11代皇帝光緒帝の弟、醇(じゅん)親王の子として北京に生まれる。
  • 1908(明治41)年、西太后の推薦により3歳にして第12代皇帝に即位、元号から宣統帝と称した。
  • 1911(明治44)年、辛亥革命により、翌年退位する。
    • 中華民国臨時政府の清室優待条件により、紫禁城で生活することを許される。
  • 1924(大正13)年、馮玉祥(ふうぎょくしょう)のクーデタで紫禁城を追われ、天津の日本租界に移る。
  • 1932(昭和7)年、日本軍の画策で「満州国」が成立し、日本のバックアップを受けて執政に就任する。
  • 1934(昭和9)年、皇帝の座につき、康徳帝を名乗る。
    • 実態は日本軍の完全な傀儡(かいらい)だった。
  • 1935(昭和10)年、訪日して昭和天皇と兄弟の契りを結ぶ。
    • 「首都」新京(現、長春(吉林省))に日本の神道(しんとう)による建国大廟を建設する。
  • 1945(昭和20)年、日本敗戦による「満州国」崩壊とともに退位する。
    • ソ連軍に捕えられ、チタ、ハバロフスクに抑留されるが、このソ連抑留時代に極東軍事裁判(東京裁判)の証人として出廷している。
  • 1950(昭和25)年、身柄をソ連から中華人民共和国に移され、撫順、ハルピンで囚人生活を送る。
  • 1959(昭和34)年、特赦により釈放され北京に帰る。
  • 1961(昭和36)年、中国人民政治協商会議文史研究委員会の専門委員となる。
  • 1964(昭和39)年、政治協商会議全国委員に選出される。
    • 自叙伝「我が半生」が大きな話題となる。
2010.02.19

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