写真2:八王子城跡入り口

写真3:路傍の石仏

写真4

  • 橋台石垣のみ発掘されたものから、推定復元された

写真5:曳橋(ひきはし)

写真6:曳橋

  • 敵に攻められたときには落とせる構造になっていたという
  • 一部は400年間、土の中で崩れずに残っていた

写真7:石垣

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■東京都八王子市八王子城跡の情報、地図、概要

■記念スタンプ

写真8:城の入り口である「虎口」(こぐち)

写真9:御主殿跡 (360度) >>拡大

写真10:御主殿跡 >>拡大

写真12:八王子神社

写真11:本丸跡への道

写真13:山上からの眺め >>拡大

■広域地図

八王子城跡
(日本100名城)
(国史跡)
東京都八王子市元八王子町(もとはちおうじまち)3丁目
グーグルアース座標(御主殿跡)=N35 39 12.41 E139 15 25.47
地図地図
撮影日:2007/9/26
写真1:冠木門(かむりきもん)
概要
  • 山頂に本丸を築き、八王子権現(ごんげん)を祀り、山麓に普段の生活を行う御主殿(ごしゅでん)があり、川を堀とした、山全体を城とした壮大なもの
  • 関東地方に勢力を持っていた北条氏の支城
    • 城主は北条氏照
  • 築城の時期は1584年(天正12)から1587年(天正15)(安土桃山時代)の間と推定されている
  • 1590年(天正18)に前田利家・上杉景勝の攻撃により1日で落城した
    • 北条氏は、天下統一を目指す豊臣秀吉に従わなかったため、領地争いを理由に宣戦布告された
    • 氏照による城郭の構想は壮大で、落城したときはまだ完成していなかったと考えられている
  • 御主殿跡からは瓦がまったく発掘されていないので、板葺きの建物だったと考えられる
    • 陶磁器やヨーロッパのベネチアのガラス器が多数発掘された
  • 御主殿の滝
    • 落城したとき、将兵や婦女子が自刃して飛び込み、三日三晩、川が血で赤く染まったという
    • 滝枯れが発生(2007時点)、付近の圏央道のトンネル工事の影響と考えられている
  • 「八王子」の由来
    • 916(延喜(えんぎ)16)年(平安時代中期)に僧が、ここ深沢山(城山)で修業をしていると、牛頭天王(ごすてんのう)が8人の王子とともに夢に現れた
    • 僧は深沢山と周囲の8つの峰に祠を建て、牛頭天王と8人の王子(八王子権現)を祀った
    • 北条氏照がここに城を築いたとき、八王子権現を城の守り神としたので、城は「八王子城」、城下町は「八王子」と呼ばれるようになった
    • その後、城下町は現在の市街地の位置に移動し、八王子城跡の麓は元八王子と呼ばれるようになった
  • 日本100名城
    • 戦国時代の山城としての状態がよく残っていることから選ばれた
    • 東京都では他には江戸城(皇居旧本丸跡・千代田区)だけ
    • 日本100名城
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関連HP
城山を守る会

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■詳細地図

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