- 山頂に本丸を築き、八王子権現(ごんげん)を祀り、山麓に普段の生活を行う御主殿(ごしゅでん)があり、川を堀とした、山全体を城とした壮大なもの
- 関東地方に勢力を持っていた北条氏の支城
- 築城の時期は1584年(天正12)から1587年(天正15)(安土桃山時代)の間と推定されている
- 1590年(天正18)に前田利家・上杉景勝の攻撃により1日で落城した
- 北条氏は、天下統一を目指す豊臣秀吉に従わなかったため、領地争いを理由に宣戦布告された
- 氏照による城郭の構想は壮大で、落城したときはまだ完成していなかったと考えられている
- 御主殿跡からは瓦がまったく発掘されていないので、板葺きの建物だったと考えられる
- 明の陶磁器やヨーロッパのベネチアのガラス器が多数発掘された
- 御主殿の滝:
- 落城したとき、将兵や婦女子が自刃して飛び込み、三日三晩、川が血で赤く染まったという
- 滝枯れが発生(2007時点)、付近の圏央道のトンネル工事の影響と考えられている
- 「八王子」の由来:
- 916(延喜(えんぎ)16)年(平安時代中期)に僧が、ここ深沢山(城山)で修業をしていると、牛頭天王(ごすてんのう)が8人の王子とともに夢に現れた
- 僧は深沢山と周囲の8つの峰に祠を建て、牛頭天王と8人の王子(八王子権現)を祀った
- 北条氏照がここに城を築いたとき、八王子権現を城の守り神としたので、城は「八王子城」、城下町は「八王子」と呼ばれるようになった
- その後、城下町は現在の市街地の位置に移動し、八王子城跡の麓は元八王子と呼ばれるようになった
- 日本100名城
- 戦国時代の山城としての状態がよく残っていることから選ばれた
- 東京都では他には江戸城(皇居旧本丸跡・千代田区)だけ
- →日本100名城
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