東京都あきる野市 |
五日市憲法 |
いつかいちけんぽう |
- 大日本帝国憲法(明治憲法)が発布された1889(明治22)年以前の1881(明治14)年頃に、旧五日市町(現・東京都あきる野市)において、教師で自由民権運動家の千葉卓三郎が中心となり地元の青年たちと起草した日本国憲法の草案
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- 特に国民の人権に重きをおいている
- 千葉は2年後の1883(明治16)年、結核のため31歳で死去した
- 青年たちのリーダーだった地元の名主の息子、深沢権八は1888(明治21)年、神奈川県の県会議員になっているが、2年後の1890(明治23)年に健康をくずし29歳で死去している
- 1968(昭和43)年、歴史家の色川大吉により深沢家の土蔵から草案が発見されたため五日市憲法の名がある
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- 2013(平成25)年、皇后陛下が誕生日の記者会見において、かつて五日市の郷土館で資料を見られ、心に残った五日市憲法草案について触れられた
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関連HP |
あきる野市デジタルアーカイブ |
■五日市憲法草案の碑(東京都あきる野市)
2006/6/24 |
2016.10.10 |
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