長野県喬木村の記事 |
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未記入は |
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2010.08.03 |
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- 飯田下伊那地方で特産品のホオズキの収穫と出荷作業が始まった。
- お盆の供花として需要が集中するため、農家らは急ピッチで作業を進めている。
- 喬木村小川の松島さん(64)方では、5アールの畑に5000本のホオズキがオレンジ色のすだれのようにびっしり。
- 親せきの手を借りて長さ1メートルほどに切りそろえ箱詰めする作業に追われている。
- JAみなみ信州によると、ホオズキは中京方面を中心に約14万本を出荷する予定だという。
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中日新聞 |
■阿島傘伝承館 >>戻る |
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2009.09.18 |
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- 「和傘を開くときのバリ、バリという音や独特の油のにおいが何とも言えません。着物姿でさせば、情緒たっぷりです」
- 喬木村の有志が1994(平成6)年につくった「阿島傘の会」の会長小林さん(81)は、和傘の魅力をこう話す。
- 会結成の半年後にできた阿島傘伝承館で、小中学生らに手ほどきをしている。
- 和傘作りは、「骨」の数と同じ48の工程があるとされ、熟練を要する。
- 伝承館では、村内の小中学生の体験学習などで年間50〜60人が和傘作りに挑戦する。
- 村立喬木中学校の郷土調査部の生徒たちも、この夏休みなどを利用して伝承館で学んだ。
- 好きな絵などを描き、文化祭で発表する。
- 世界に一本の「マイ傘」は、ことのほか喜ばれる。
- 阿島傘は1737(元文2)年ごろ(江戸時代中期)から製造が始まったとされる。
- 戦後の最盛期には180戸が従事し、年間30万本ほどが作られたという。
- しかし、軽くて持ち運びが便利な洋傘が普及し始めると、急速に衰退。
- 今では、村内で1戸だけになってしまった。
- 阿島傘は、喬木村の村歌で「……類希(たぐいまれ)なる大村は 阿島の傘ともろともに その名も高し喬木村」と歌われている。
- 村役場では、2008(平成20)年から貸し出し用に10本を用意している。
- 合言葉は「使って残そう、阿島傘」だ。
- 職員や村議会議員もオリジナル傘として30本を購入したという。
- 10人ほどいる傘の会メンバーの平均年齢は80歳と高齢だ。
- 村などは体力的なことも考え、今年から小林さんらの後を継ぐ指導者の養成を始めた。
- 17歳から60代まで約20人が次の継承者を目指す。
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asahi.com |
■九十九谷森林公園 >>戻る |
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2010.06.24 |
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- 九十九谷森林公園で、ナツグミが真っ赤に熟れ始めた。
- 10本ほどあるどの木にも実が鈴なりで、枝は折れんばかり。
- 山野の日当たりの良い所に生える落葉低木。
- 4〜5月にクリーム色の花を付けて、この時期に熟れる。
- 実は楕円形で長さは2センチほど。
- 実は生で食べられる。
- 果実酒にも適するという。
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asahi.com |
2009.05.14 |
- クリンソウが一気に開花
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- 園内には約5万株が群生。
- 村内に自生していたクリンソウが村花に指定されたのは1996(平成8)年。
- 以後、同愛好会の会員が園内にパイプをめぐらせるなどして水路を確保し、株を増やしてきた。
- 池はメダカやカエルもすむ豊かな環境で、今年は県の補助事業で周囲に新しい木製遊歩道を増設した。
- 愛好会は24日まで、園内で「くりん草まつり」を開催。
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信濃毎日新聞 |
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