写真4:地域の小学生による用水開削の版画

写真3:五郎兵衛田んぼの航空写真(1946(昭和21)年)

写真2:用水のジオラマ地図

  • 小学生一人一人による用水をテーマにした壁新聞

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五郎兵衛記念館
ごろべえきねんかん
長野県佐久市甲(こう)
グーグルアース座標=N36 15 25.55 E138 24 1.32
地図地図
撮影日:2009/8/22
写真1
概要
  • 2005(平成17)年に佐久市と合併した旧浅科村の施設。
  • 1973(昭和48)年に設立され、浅科地区の五郎兵衛用水についての展示を行っている。
    • 五郎兵衛用水は疎水百選に選ばれている。
    • 用水を開削した市川五郎兵衛
      • 市川五郎兵衛は江戸時代初期の現・群馬県南牧村(なんもくむら)の出身。
      • 南牧村はほとんどが急傾斜地で稲作はできなかった。
      • 広い平地の浅科地区に目を付け、水源を探し、小諸藩の許可を得て全長20キロにわたる用水路を私財を投じて開削した。
      • 用水によって浅科地区は米どころになった。
      • 用水路は大改修によって現在も使われている。
    • 1937(昭和12)年のトンネル水難事故
      • 当時、国策による満州移住のため、農場で研修を行っていた20歳代の若者たちが、用水の開削の苦労を知るため、ノミで削ったトンネルに入った。
      • 通常、農場長が引率する場合、連絡して水を止めて入っていた。
      • ところがこの時、農場長は出張中で、よく知らない次長が引率していた。
      • 通水したまま大人数が入坑したため水位が上がり水圧が高くなった。
      • 先を入った人が救助を求めても、順次後から入る人には届かず、結局前進も後退もできなくなったという。
      • 入坑した26名のうち8名が溺死した。
  • 信州農村開発史研究所を併設
    • 被差別部落に関する古文書を研究し、部落差別をなくすことに貢献しようと、1980(昭和55)年に設立された。→同和問題
  • 開館時間:9:00AN-5:00PM
  • 休館日:月曜、年末年始
  • 入館無料
リンク
 五郎兵衛記念館(佐久市HPページ)

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道の駅ほっとぱ〜く・浅科

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  • 記念館が建っているところには昔、五郎兵衛を祭る神社があった。
    • その神社を創建するとき、神社に植えるため、五郎兵衛の生家からいい桜があるから取りに来てくれと連絡があった。
    • 村人5人が取りに行って戻る時、関所を通ることになったが通行札を忘れてきてしまった。
    • そこで使者の一人が五郎兵衛生家の親書を見せて理由を話し、「しかし罪は罪だから自分は自害する」と言ったら、役人はその覚悟に感服し通してくれた、という逸話が残っている桜。

写真10:記念館東側の「関所破りの桜」

写真12:浅科湖 (農業用ため池)

写真11:五郎兵衛の墓

写真8:記念館裏手 (360度) >>拡大

写真6:展示室 (360度) >>拡大

写真7 >>拡大

写真9:記念館北側 >>拡大

■長野県佐久市五郎兵衛記念館の情報、地図、概要