遭難
「風雪のビバーク」(後に出版された遺稿) ナイロンザイル事件 二重遭難
  • 1948年(昭和23)の年末に北アルプス、槍ヶ岳に東京農業大学生、松濤明氏(28)と農林省技官、有元克己(27)が登った。
    • 翌年の1月6日に有元が凍傷で動けなくなった。
    • しかし、吹雪の中、松濤は有元を助け出すことができず、しかし友を捨てていくことはできず、死を選ぶことにした。
    • その様子は死の直前まで日記に書かれた。
    • 遺体や日記は7ヶ月後に発見された。
  • 1955年(昭和30)、三重県の社会人山岳会「岩稜会」の3名のパーティーが前穂高岳を登山中、先頭の一人が滑落した。
  • ザイルで結ばれているので止まるはずだった。
  • しかしザイルは岩角で切れて墜落死する。
  • その後、ザイルの性能などに論議が起き、「ナイロンザイル事件」といわれるようになる。
  • 1957年(昭和32)には、この事件を題材にし新聞連載されてから小説として井上靖の「氷壁」が出版された。
  • 1962年(昭和37)、槍ヶ岳で発生した遭難の救助のため、県警隊員とともに出動した北アルプス山岳遭難防止対策協議会救助隊員の白河敏夫が、遺体の収容中に転落して死亡した。
    • これは救助隊員として公式での初の殉職だった。
日記が書かれた手帳
切れた本物のザイル
井上靖「氷壁」
かぶっていたヘルメット
2005/5/29