- 当時の松本藩の年貢は周辺の藩と比べても重かった
- 不作にも関わらずの重い年貢に耐えかねた現・安曇野市に住んでいた多田加助をリーダーとする農民有志が松本城(現・長野県松本市)に年貢低減を直訴(じきそ)に向かう
- これを伝え聞いた周辺の農民も城下に集結し、大騒動に発展した
- 藩主の水野忠直は参勤交代により江戸にいた
- 留守をあずかる家老たちは、騒動を納めるため要求を受け入れ、農民達は引き上げた
- しかし、家老たちは受け入れを撤回し、藩主の許可を得て加助やその子どもも含め28人を捕らえ処刑した
- この人数は、他の一揆の例と比べても格段の厳しさだという
- 加助の妻は、直訴前に離縁したため、刑を免れたという
- 貞享義民社
- 長野県旧三郷村(現・安曇野市)が貞享騒動についての展示を行うため建設した貞享義民記念館の向かい側にある神社
- 最寄り駅の中萱駅(なかがやえき)(JR東日本・大糸線)に多田加助のレリーフ像がある
- 貞享騒動の50年後に、多田家の祭神として祠(ほこら)を建てたのが始まり
- 後の水野家では、藩主が改易(かいえき)(更迭)になったり悪いことが起きたため、これは加助の祟りだということがささやかれたため、加助の木像が作られ水野家内で弔っていた
- 1898(明治31)年、貞享義民社殿の造営に際し、水野家からこの像が贈られ、以後御神像として祀られている
- この像の複製が貞享義民記念館に展示されている
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