長野県上松町の記事
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未記入は信濃毎日新聞
2007.12.27
  • 箸作り 多忙な年末_機械を工夫 量産に成功
  • 信州の名工
  • 木下商店製箸所(せいはししょ)を経営する木下さん(79)
  • スギやヒノキの端材で多様な箸を作っている。
    • 箸は手作りすると大変な手間と技術がいるが、自分で工夫した機械で、量産化に成功した。
    • その技術が認められ、風による2007年(平成19)に「信州の名工」を受賞した。
  • 何種類も作る中で、珍しいのは、断面が5角形の箸。
    • 5角形は使いやすいと人気があり、また最近は五角が合格に通じるところから、「合格箸」と、焼印を押した物も作っている。
  • 箸の使い捨ては森林破壊のように言われるが、森林は伐採して植林をするなど定期的に手入れをしないといけない。木を資源として使うことは、そのサイクルを促し、間伐材を使うことは森林の手入れにつながる」と木下さん。
タウン情報
2007.10.18
  • 森林鉄道の軌道跡 鉄橋も有効活用
  • 700メートルを遊歩道に整備
  • 廃線となった森林鉄道の軌道跡約700メートルを、ウオーキングコースに整備する。
    • 予定地には大正時代初期に建設された鉄橋がある。
市民タイムス
2007.05.06
  • 自然への畏敬 原点に
  • 心象風景を塑像にする
  • 木曽に生きる
  • 「自分の作品にはモデルがない。突然浮かぶ光景を無心に形にするんだ。これは自分にとっての木曽の心象風景なのかもしれない」と原さん(80)
    • 父の営む製材業を継いだが、25歳の頃、町内の大火で工場が焼失。
    • 何とか再建したが、これを契機に他人に貸し、小学生の頃から得意だった彫刻の腕を生かし、木曽馬などを彫る民芸品作りを始めた。
    • その際に選んだのが、製材過程で出る端材で、まさに自分が畏怖した木曽の木々だった。
    • やがて木屑も使うようになった。
2007.04.11
  • 「ぬ」くもりを包んだ母の朴葉巻き
  • 上松の名勝や名産品 かるたに
  • 町内の若者有志
  • 「石積みの遺産を映す木曽の桟(かけはし)
  • 上松町の文化財や名勝、観光地などを取り上げたかるた「上松町カル多まてばこ」が完成した。
    • 上松町の40歳以下の有志がつくる「町若者による町づくり委員会」が作り、町内の学校や福祉施設、宿泊施設などに寄付。
2006.08.23
  • 木の文化伝承、思い込め
  • 名古屋城御殿復元にも一役
  • 直径60センチ、高さ約27メートル、樹齢300年余の木曽ヒノキ。
  • 式では名古屋市長、尾張徳川家22代当主、ツアーで訪れた名古屋市民らが見守った。
    • 地元の林業関係者でつくる三ツ紐伐り(みつひもぎり)保存会が、斧を3方向から打ち込んだ。
  • 木曽ヒノキ、名古屋城に
  • 名古屋城の本丸御殿は1945年(昭和20)に戦災で消失した。
市民タイムス
2006.08.11
  • 名古屋城御殿復元へPR
  • 上松の国有林で木曽ヒノキ伐採
  • 名古屋城本丸御殿の復元計画を進める愛知県名古屋市は、上松町の国有林で木曽ヒノキを斧で切り倒す「おの入れ式」を行う。
    • 木曽広域連合は、木曽ヒノキの売り込みや観光などの調整が必要として、受け皿となる御殿復元の実行委員会をつくる。
    • 江戸時代、木曽の山林は尾張藩が直轄し、名古屋城にも大量に使った。
    • 木曽地方の材木関連業者からは「製材を地元に発注してほしい」といった声も出ている。
    • 復元の費用150億円の約3分の1を寄付でまかなう予定。
上松駅 >>戻る
2007.11.16
  • 木曽観光 鉄路の拠点に
  • ベンチや案内板 ヒノキ製
  • かつては木曽地方から搬出される木材の約6割が集まったほどで、トラック輸送に切り替わった今でも駅裏が広大な貯木場になっている。
  • ホームには樹齢約450年のヒノキのご神木、ヒノキ製の観光案内板が設置されているなど、「木曽桧(ひのき)の里」の玄関口をアピールしている。
    • 一番線には、ヒノキ、サワラ、ネズコ、アスナロ、コウヤマキの「木曽五木」が植えられている。
市民タイムス
赤沢自然休養林 >>戻る
2007.12.26
  • ドックの宿泊場所はこれまで町内のホテル1カ所に限られていた。
    • 宿泊施設が増えることで、受信者が多様な宿泊場所を選べるようになり、森林セラピードックの利用増が期待されている。
  • 「森林セラピードック」は国が認定する「森林セラピー基地事業」の一環で、今年から運用が始まった。
    • 木曽病院の医師が受診者の健康チェックをしたうえで、それぞれに最適な森林の散策方法をアドバイスする取り組み。
市民タイムス
2007.12.05
  • 今季も好調_9月の入園者数 過去最高
  • 森林セラピー」など効果
  • 1971年(昭和46)の開園以来、最高となる11801人の入場があった。
    • 林野庁に認定された森林セラピー事業がスタートしたことや、権兵衛トンネル経由で首都圏からの来園者が多かったことが増加の要因に挙げられている。
  • 医師がそれぞれに最適な森林の散策方法を助言する「森林セラピードック」では、男女22人が受診し、森林の持つ癒し効果を体験した。
  • 赤沢自然休養林は1969年(昭和44)に日本初の自然休養林に指定され、1982年(昭和57)に林野庁から森林浴発祥の地に認定された。
2007.08.26
  • 赤沢が「森林浴」発祥の地?
  • 日本初の自然休養林
  • 絶好の癒しスポットに
  • 樹齢300年を超える木曽ヒノキが林立する。
  • 1969年(昭和44)、当時の林野庁が森林レクリエーションに最適な場として赤沢の国有林を日本初の自然休養林に設定した。
    • 昭和50年代(1975〜)まで木材運搬で活用されていた森林鉄道があり、観光客の人気を呼んでいる。
  • 「森林浴」の言葉が初めて世に出たのは1982年(昭和57)だった。
    • 当時の林野庁長官・秋山智英氏が、森林の持つ癒し効果を広めようと提唱した。
    • その年、赤沢自然休養林を会場に第1回「全国森林浴大会」が開かれたことから、森林浴発祥の地と位置づけられた。
    • 休養林の中央には、秋山氏が町に寄贈した「森林浴発祥の地」の掛け軸の文字を彫り込んだ石碑が建立されている。
2007.07.21
  • まだまだ現役
  • 森林鉄道の車両
  • 今夏復活へ修理
  • 森林鉄道は、赤沢自然休養林の一番の売りで、夏の観光シーズンには毎日、1.1キロ区間を15往復している。
2006.09.13
  • 林野庁から日本で最初の「森林セラピー基地」の一つに認定された。
    • 赤沢休養林は森林浴発祥の地でもある。
    • 同時に認定を受けた森林セラピー基地の多くはブナ林で、ヒノキ林の認定は全国でもここだけ。
  • 森林セラピーを「町の振興の核としていきたい」と町長。
    • 「医師がしっかりかかわることで、赤沢は森林セラピーの第一人者になりうる」とセラピーの実験に参加している県立木曽病院の院長。
2006.05.30
  • 赤沢休養林の魅力紹介
2004.10.18
  • 色づき加速、紅葉の森林浴
木曽の桟 >>戻る
2007.06.05
  • 木曽の桟久々お目見え
  • 耐震補強工事が完了
  • 「木曽の桟」は木曽川左岸の崖に沿うように設けられている。
  • 通行の難所として知られ、江戸時代に尾張藩が石を積んだ上に橋を設け、現在の桟道橋に近い形を作り上げた。
  • 1966年(昭和41)には旧建設省が改修工事を行い、現在の形になった。
市民タイムス
木曽路美術館 >>戻る
2008.01.06
  • 「花」は最小限の処置に
  • 木曽の彫刻家・千村士乃武(しのぶ) 代表作 修復その後
  • 石膏像2体の保存と修復活動に取り組んでいる。
    • 修復に必要な経費は寄付によりまかなう。
  • 像の一つ「花」に表現上の見所だっただろう右手首から先の部分が欠落している。
    • 保存会の委員による多数決の結果「復元はしない」ことになった。
    • 作者が命をかけて遺した作品は第三者には侵しがたい存在だ。
市民タイムス
2007.09.29
  • 募金で復元 地元の宝
  • 千村士乃武の作品展示
  • 千村士乃武(1957年(昭和32)没)は木曽町出身の彫刻家。
タウン情報
2007.05.15
  • 中学生絵付けのそばちょこ展示
  • 江戸時代のそばちょこコレクションを展示している。
  • 上松中学校の生徒が美術の授業として、同館で、そばちょこへの絵付けに取り組んできた。
寝覚の床美術公園 >>戻る
2007.04.07
  • 化粧直しで往時の姿
  • 森林鉄道の機關車を塗装
  • 町内を1975年(昭和50)頃まで走っていた森林鉄道の機関車と、ロータリー式除雪機関車の2両。
    • 設置から30年以上経過し、長年の風雨でさびなどが目立ったため、観光協会がきれいに塗装し直した。
市民タイムス