岐阜県中津川市の記事 |
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■総合 |
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2007.11.30 |
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- 来年完成予定の中津川公園野球場。
- 愛称を公募し、馬籠(旧長野県山口村)出身の島崎藤村の代表作にちなむ「夜明け前スタジアム」に決まった。
- 「合併で新市となった中津川市が未来に向けて歩み始めた姿をイメージさせる上、『藤村イコール中津川市』と印象づけることができる」のが選定理由。
- 市内在住か在勤の人から募ったが、「夜明け前」を応募した4人は、いずれも旧山口村出身ではなかった。
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朝日新聞 |
2007.08.07 |
- 「中山道中津川」で検定
- 合併で馬籠宿加わり「地域への関心高めたい」
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- 中津川市内の中山道の宿場町を中心とした知識を問うご当地検定「中山道中津川かいわい認定」を中津川商工会議所が実施する。
- 検定の参考テキスト「もっと知ろう中山道中津川」も発刊。
- 平成の大合併で広がった地域への関心を高めたい、としている。
- 「昔のことを知っている世代が減っており、市民が正しい知識を蓄えることで、訪れた人への応対も向上する」と期待する。
- 旧山口村(長野県)の馬籠宿が合併で加わり、落合、中津川と合わせて三つの宿場を抱えることになった。
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信濃毎日新聞 |
◆地域 |
◇旧山口村(長野県) |
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2008.02.16 |
- 住民自身の行動必要
- 将来像 描けるか
- 越県合併から3年 旧山口村の模索(下)
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信濃毎日新聞 |
2008.02.15 |
- 地域づくり 危機感も
- 薄れゆく 一体感
- 越県合併から3年 旧山口村の模索(上)
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- 「平成の大合併」で2005(平成17)年、長野県木曽郡山口村が岐阜県中津川市に越県合併して丸3年。
- 地域の将来を考え、隣県入りを選んだ住民だったが、地域自治組織の活動の低調さ、馬籠地区と山口地区の意識の擦れ違いといった側面もここへ来て浮き彫りになっている。
- 旧山口村を含む7町村を編入合併した中津川市。
- 市は合併後、旧町村ごとに「地域審議会」を設けた。
- 合併後の住民自治の要とされる組織。
- 旧山口村と同時に市に合併した旧岐阜県加子母村(かしもむら)。
- 地域審議会は分野ごとの分科会や住民との座談会を活発に行い、昨年には地域の目指す方向を提言書にまとめ、市長に提出した。
- 一方の旧山口村。
- 審議会が積極的に住民を巻き込む動きは弱く、提言書などの取りまとめも具体化していない。
- 審議会が積極的な役割を果たしにくい要因として、「昭和の大合併」以来の歴史的な経過を挙げる。
- 1958(昭和33)年の合併では、当時の神坂村(みさかむら)が分裂し、山口村と中津川市に編入された。
- 旧神坂村だった馬籠地区と、もともと山口村だった山口地区は、同じ旧山口村でも産業面や地理的な性格が異なる。
- このため審議会にも両地区ごとに「地域づくり推進協議会」が設けられて実質的な議論を担い、審議会は両協議会の場にとどまる。
- 昨年、酪農学園大学(北海道江別市)の河合教授(行政学・自治体論)が3年ぶりに旧山口村を訪れた。
- 住民からの聞き取り調査を行い、越県合併後の変化を検証するため。
- 合併を推進した住民、反対した住民・・・。
- 賛否をめぐる議論の多くは、国が設定する合併特例法の期限切れ(2005(平成17)年3月)をにらんで行われた。
- 「賛否双方とも財政問題に終始し、村のあり方や新市の姿を描けなかった」と、河合教授。
- 次第に遠のきつつあるように見える、旧村の一体感。
- 「新市に向き合うにも、旧村のまとまりが必要。それを手放すのはまだ早い」と、最後の村長だった加藤市議(70)。
- 山口村の越県合併:
- 「昭和の大合併」では1957(昭和32)年、神坂村議会が岐阜県中津川市との合併議案を可決。
- 長野県議会の反対を受け、国の裁定で1958(昭和33)年、中山道沿いの峠、馬籠、荒町が隣接の山口村に、湯舟沢が中津川市に分村合併した。
- 「平成の大合併」では2004(平成16)年、山口村が投票による村民意向調査を行い、中津川市との合併賛成が多数に。
- 合併に反対する当時の田中康夫知事は合併議案を県会に提出せず、議員提案により可決。
- 2005(平成17)年、山口村を編入合併した新中津川市が発足した。
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■馬籠 >>戻る |
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2007.12.28 |
- 世界遺産めざし提案書
- 妻籠・馬籠宿と中山道
- 「藤村文学の世界」も
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- 長野県南木曽町と岐阜県中津川市は、世界文化遺産登録の暫定リスト入りに向けて文化庁に提出した提案書「妻籠宿・馬籠宿と中山道−『夜明け前』の世界−」の内容を説明。
- 提案の範囲は南木曽町内の約20キロの中山道と、馬籠峠から落合宿の手前までの中津川市内の中山道約10キロ。
- この間にある宿場や山村の景観などと、近代化遺産の読書発電所施設(南木曽町)を提案。
- 主題は、政治・経済・文化の幹線と強調。
- 当初の土道(つちみち)を多く保存し、宿場を支える集落「在郷」、荷物を取り次いだ立場茶屋、宿場の間に位置する「間の宿」など、近世の交通システムを伝える遺構がそろった全国でもまれな地域とした。
- 馬籠出身の島崎藤村の文学世界を木曽路の位置付けに加えた。
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朝日新聞 |
2005.02.11 |
- 《県境発》
- 便利さ向上、残る郷愁
- 長野山口村13日合併
- 「中津川の馬籠」PR着々
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- 「平成の大合併」では初めての県境を越えた合併。
- 長野県山口村と岐阜県中津川市。
- 文豪・島崎藤村の生誕地で、旧中山道の馬籠(まごめ)宿としても栄えた山口村は岐阜県になる。
- 越県合併の経緯
- 2004年(平成16)の村民意向調査で賛成多数となった結果を受け、両市村が合併協定書に調印。
- しかし、長野県の田中康夫知事は「県民であり続けたい方々を守る責務がある」として、県議会への合併関連議案の提出を拒んだ。
- 県議会は議員提出の議案を可決し、結局、田中知事は国に合併申請した。
- 田中知事誕生を後押しした八十二銀行顧問の茅野氏が議案を出さなかった知事を批判、後援会顧問を辞任する意思を固める事態にもなった。
- 住民の生活はどう変わるのか。
- 便利になる面もあるが、長く親しんできた信州への郷愁も残る。
- 一方で、全国に通用する観光ブランドを手にする岐阜側はPRの準備に余念がない。
- 閉村式で、村長は「言葉で言い尽くせない寂しさがこみ上げてくる。ありがとう長野県、さようなら山口村」と、しんみりと語った。
- 観光と農業が中心の人口約2千人の村は123年の歴史にピリオドを打つ。
- 県境にほど近い集落に住む原さん(49)は合併を控え、更新した健康保険証の住所欄に「岐阜県中津川市馬籠」と書き、妻(43)は親類や知人らに住所変更を知らせるはがきを書くのに追われる。
- 生活圏は一緒
- もともと山口村の通勤、通学者の半数近くが岐阜県内に通っている。
- テレビは中京圏の放送しか映らない。
- 「生活圏が一緒だから合併しても違和感はない」 むしろ、便利になることも多い。
- 運転免許証を更新する県警の出先機関は、これまで車で2時間近くかかっていたのが、20分ほどになる。
- 救急車や消防車の到着も10分ほど縮まる。
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しかし、最近、小学4年生の長男から「どうして岐阜県になるの」と聞かれて、答えに困った。
- 原さん自身、県外の初対面の人には「信州の馬籠」と説明してきた。
- 生まれ育った長野県に愛着は深い。
- 「合併しても心は信州人のままかもしれないね」
- 借金肩代わり
- 村内には二つの小学校があり、116人が通う。
- 「先生ががらりと代わったら、子どもが戸惑う」と心配する父母もいる。
- 両県教委は長野県の先生の一部を最長2年間残すことにした。
- 越県合併で、両県の引き継ぎ項目は609に及んだ。
- 最も難航したのは下水道や農道などだ。
- 県が村内に整備した事業の多くに地方債というローンが残っていた。
- 債務も「財産」かどうか。
- 地方自治法に詳しい規定はなく、総務省も巻き込んだ議論の末、関係する地方債残高23億3千万円を岐阜県が肩代わりすることで決着した。
- 新ルート開拓
- 石だたみの通り沿いに約50軒の旅館や土産物店などが並ぶ馬籠宿には、年間40万人の観光客が訪れる。
- これといった観光地がなかった中津川市は、馬籠宿を前面に打ち出したガイドマップ7万5千部を作った。
- 車で1時間弱の下呂温泉(下呂市)も含んだ観光ルートの開拓にも取り組み、「多くの藤村ファンを引き寄せたい」と意気込む。
- 一方、馬籠宿の関係者からは「藤村が愛したのは信州の馬籠。信州でなくなると観光客が減るのでは」という不安の声もある。
- 組織を存続し、独自の活動を続けることにした馬籠観光協会の会長は「信州で生まれ育った私たちの手で守っていきたい」と話した。
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