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島崎藤村 |
しまざき とうそん |
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- 1872年(明治5)-1943年(昭和18)
- 旧中山道の馬籠宿(元、長野県山口村、2005年(平成17)より合併して、岐阜県中津川市) に生まれる。
- 1906年(明治39)に被差別部落出身者が主人公の「破戒」を自費出版する。
- 1910年(明治43)〜11年に家父長制をテーマにした「家」を執筆する。
- 1913年(大正2)から3年間フランスに滞在する。
- 1929年(昭和4)-35に父をモデルに幕末と木曽の自然を背景に描いた「夜明け前」を完成させる。
- 1936年(昭和11)に発表された歌「椰子の実」の歌詞は藤村の作。
- ”名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ”
- 曲1 曲2
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関連記事 |
- 2007.11.30 朝日新聞
- 来年完成予定の中津川公園野球場。
- 愛称を公募し、馬籠(旧長野県山口村)出身の島崎藤村の代表作にちなむ「夜明け前スタジアム」に決まった。
- 「合併で新市となった中津川市が未来に向けて歩み始めた姿をイメージさせる上、『藤村イコール中津川市』と印象づけることができる」のが選定理由。
- 市内在住か在勤の人から募ったが、「夜明け前」を応募した4人は、いずれも旧山口村出身ではなかった。
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- 2005.02.12 読売新聞
- 島崎藤村は何県出身?生地・長野の村は岐阜に越県合併
- 長野県山口村県境を越えて岐阜県中津川市に編入合併される。
- 山口村出身でこれまで辞書などで長野県生まれと表記されてきた島崎藤村の出生地をどう表記するか。
- 藤村が生まれたのは、当時の筑摩県馬籠(まごめ)村。
- 馬籠村の区域を含む筑摩県東部は1876年(明治9)、長野県に統合され、馬籠地区は1958年(昭和33)の合併で山口村となった。
- 藤村は、9歳で上京したものの、馬籠宿を舞台にした「夜明け前」など古里への思いが詰まった作品も数多く残しており、「信州人」という認識が定着している。
- 岩波書店は広辞苑で長野県生まれと表記しており、改訂間近だけに対応に苦慮しているという。
- 「岐阜県とした上で、旧国名や旧県名をカッコ書きする案もあるが、字数の都合や各人物が持っている雰囲気もあり、難しい問題」と編集部。
- 大辞林を出版する三省堂も「文化的なものには一般化された認識がある。いきなり(越県合併という)新しい状況を書いても理解されない」と、困惑気味。
- 「長野県歴史人物大事典」など、藤村を扱う書籍を数多く出している郷土出版社(長野県松本市)は「藤村は信州人、という精神風土に合わせた表記が必要だが、改訂の際は、越県合併にも触れないわけにはいかないのでは」と。
- 「藤村自身はどう思うだろうか。越県合併しても、藤村が生まれたのは信州であることに変わりはない」と馬籠宿にある「藤村記念館」関係者。
- 「藤村が信州を描いたのは確かだが、作品が変わるわけでもなく、馬籠も変わらない。 (藤村が反対運動の象徴となった)昭和の合併のころとは、時代が違う。岐阜県になるからといって、どうこう言う時代ではない」と 藤村の孫の妻で、馬籠宿で土産物店を営む島崎黎子さん(68)
- 「藤村の古里が馬籠であることに変わりはない。信州の藤村でも岐阜の藤村でもなく、
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■島崎藤村旧宅(長野県佐久市)
2009/8/22 |
■藤村が教師として招かれた小諸義塾記念館(長野県小諸市)
2008/8/29 |
■藤村記念館(岐阜県中津川市)
2007/8/21 |
■島崎藤村が作ったカルタ 清水屋資料館(岐阜県中津川市)
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■主人の一人が島崎藤村の小説『夜明け前』に登場する山村代官屋敷(長野県木曽町)
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■島崎藤村の姉が嫁いだ家で、小説『家』のモデルになった高瀬資料館(長野県木曽町)
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■島崎藤村など、神奈川県にゆかりのある文学者の資料を展示している神奈川近代文学館(神奈川県横浜市中区)
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