歴史
楽市・楽座 らくいち・らくざ
  • 戦国大名や織豊政権が、領国内の経済と城下町の繁栄を目的として採用した都市政策・市場政策。
  • 中世荘園制下では、各種の商人・職人が、特権的な同業者組合の座を結成して商品生産や流通に独占的な権利を持っていた。
    • また市場には、独占的な販売を行う市座や問屋があって、商取引に種々の税が賦課されていた。
    • 楽市・楽座は、城下町などの主要な市場に対し、商人の往来を活発にする目的で、種々の保護を与え、座の存在を否定して自由な交易を保障するものだった。
    • ただし、新しい城下町や新市場以外の都市や市場に対しては、既存の機能や権利を再確認し、保障した例が多い。
  • 応仁の乱(1467〜77)以降の商工業の発展で、中世末には各地の寺内町などに領主によって支配されない市場、すなわち楽市場が存在した。
    • そこでは諸税が課せられず、領主権力の介入を排した不入権があり、債権債務・主従関係など世俗的な権利関係や、支配・隷属の関係からも無縁で、市座も存在しなかった。
    • 戦国大名や織豊政権は、こうした既存の楽市の機能を保護することで楽市場を支配下におき、それを利用して経済の繁栄を目指したものと考えられる。
  • なお楽座は、従来、特権的な座を解体するものと説明されてきたが、楽市は元々すべて楽座なので、楽市・楽座という場合、楽座は楽市の要素の一つということになる。
    • また、豊臣政権にいたって、寺社や公家などの本所の関係が否定されるが、これも同業者組合の特権をすべて否定して座そのものを全面的に解体したわけではない。
  • 楽市令が史料に初めて現れるのは、1549(天文18)年(室町時代中期)、六角氏の近江石寺新市(おうみいしでらしんいち)あてのもの。
    • 1577年(天正5)に織田信長が近江安土(あづち)城下にあてたものは特に有名。
  • 現代でも、この名を冠した観光的ながある。
  • 参考:エンカルタ2007
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2011.06.14

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