柳沢吉保 やなぎさわ よしやす
  • 1657-1714
  • 祖先は現在の山梨県北杜市の出身で、戦国時代の武将、武田氏の家臣だった。
  • 1694年に武蔵国の川越城(現、埼玉県川越市)の城主になり、また徳川綱吉の幕政にかかわるようになり、その後、幕府で最高の位である大老になる。
  • 1704年(宝永元年)、甲府藩主になる。
    • 甲府(現在の山梨県甲府市)藩主は代々、徳川一門だったため、吉保は徳川家並みの待遇を受けた。
    • 藩政に対しては、領民をいたわり、新しい田を開拓したため、民から慕われた
  • 現代の吉保に対するイメージは綱吉の傘の下に、権力を振るったという悪いイメージがついている。
    • それは、綱吉の意向に忠実に従ったためらしい。
    • たくさんの大名などは、吉保を通じて将軍綱吉に働きかけるため、吉保のご機嫌をとっていたという。
関連
■柳沢吉保夫妻の墓 恵林寺(山梨県甲州市)

2006/12/30
■川越藩主だった頃に築いた六義園(東京都文京区)

2006/3/29
2011.4.1

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