斎藤茂吉
さいとう もきち
1882(明治15)年−1953(昭和28)年
大正・昭和期のアララギ派の歌人。
精神科医斎藤紀一に招かれて上京し、婿養子になる。
正岡子規
の「竹の里歌」をよんで感動し、
伊藤左千夫
に入門して万葉調の歌をつくるようになる。
森鴎外
主催の観潮楼歌会に参加し、
北原白秋
ら「明星」派の歌も学んだ。
医術のかたわら作歌に励み歌集を次々に発表した。
アララギ派の領袖
(りょうしゅう)
(指導者)として盛んに他派の歌人に論争を挑んだり、
万葉集
の研究にも打ち込んだ。
参考:エンカルタ2007
関連HP
斎藤茂吉記念館
(山形県上山市(かみのやまし))
2010.06.26
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