源義家 |
みなもとの よしいえ |
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- 1039-1106
- 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう・京都府八幡市)で元服したことから、八幡太郎と呼ばれる。
- 前九年の役(1051-62)・後三年の役(1083-87)で活躍し、源氏の東北地方(奥羽)での勢力の拡大を決定的なものにした。
- 後三年の役
- 金沢柵(かなざわのさく・現、秋田県横手市)へ向かう途中、柵近くで清原武衡(たけひら)が放った伏兵に合うが、飛んでいる雁の列の乱れからそれを察知したというエピソードがある。
- 後三年の役のあと、朝廷に恩賞を要請したが、私戦とみなされ取り上げられなかったため、従軍した武士たちへの恩賞を自らの私財を充てた。
- そのため配下の武士たちの信頼が集まり、主従関係は強固になる。
- 後三年の役は、武家の統率者(棟梁(とうりょう))への道をひらくことになり、主従制への転換点となる。
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■「八幡太郎源義家公之像」 ケヤキ並木(東京都府中市)
2008/7/20 |
■義家ゆかりのすもも祭りがある大國魂神社(東京都府中市)
2008/7/20 |
■義家の子とその子の2代にわたる居館だった鑁阿寺(栃木県足利市)
2007/5/9 |
■義家の合戦の苦戦を聞きつけてかけつけたという源義光の曾孫の居館跡の寺 法善護国寺(山梨県南アルプス市)
2006/8/14 |
2010.3.10 |
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