歴史
国民精神総動員運動 こくみんせいしんそうどういんうんどう
  • 日中戦争開始とともに政府が進めた、国民の自発的な戦争への協力を促進するための運動。
  • 精動と略称した。
  • 1937(昭和12)年、第1次近衛文麿内閣は「挙国一致、尽忠報国、堅忍持久」をスローガンに掲げた国民運動の実施要綱を定め、在郷軍人会・青少年団・婦人団体・町村長会・産業団体などを中心とする国民精神総動員中央連盟を創設して運動を進めた。
    • 昭和恐慌以降の生活不安と日中戦争の長期化によって国民の意識とのズレが目立ったため、1939(昭和14)年、近衛内閣の後を継いだ平沼騏一郎内閣は文部大臣を委員長とする国民精神総動員中央委員会を設置して、運動をさらに強力に推進した。
    • 運動の内容は、毎月1日を「興亜奉公日」とし、街頭に「ぜいたくは敵だ」の看板をたてて戦争による窮乏生活に忍耐を強いるなど、日常的に戦争に協力させるものだった。
  • 1940(昭和15)年になって近衛文麿を中心に新体制運動が起こると、この運動は大政翼賛運動に吸収された。
  • 参考:エンカルタ2007
2010.06.30

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