- 聖徳太子が高句麗・百済など朝鮮諸国の冠位制度を参照して作りだしたという。
- 徳・仁・礼・信・義・智を大小に分けて12階とし、それぞれに合う冠を授ける。
- 位階の違いは色であらわし、、身分の差がひと目でわかった。
- この制度は、5世紀後半からの中央集権化策の一環で、朝廷に仕えている氏族員を官僚に転身させることを目的とした。
- 能力次第でさらに冠位を上昇させることができるため、格の低い出身者でも、理論上は上位に立てる。
- 天皇家や朝廷の高官の役にたてば上昇し、失敗すれば落とされる可能性もあった。
- 冠位は647(大化3)年に13階になり、19階・26階・48階を経て律令制下の30階に落ち着く。
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