航空事故 |
日本航空123便墜落事故 |
にほんこうくうひゃくにじゅうさんびんついらくじこ |
- 1985(昭和60)年8月12日の夜に起きた、単独機としては世界最大の航空機事故。
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- 一般的には「日航機墜落事故」「日航ジャンボ機墜落事故」などと呼ばれる。
- 乗員乗客524名の内、奇跡的に4名が生還した。
- 羽田空港(東京都大田区)を出発し、伊丹(いたみ)空港(大阪国際空港)(兵庫県伊丹市・大阪府豊中市・大阪府池田市にまたがる)に向かったボーイング747(ジャンボジェット機)が、群馬県上野村の高天原山(たかまがはらやま)の尾根に墜落した。
- 墜落当時、近くの尾巣鷹山(おすたかやま)と報道されたため、現在でも墜落地点は「尾巣鷹山」が一般的で、高天原山の名はまったく知られていない。
- また、当時の村長も墜落地点を「尾巣鷹の尾根(おね)」と命名した。
- 1978(昭和53)年、伊丹空港で起こしたしりもち着陸事故後の、ボーイング社の修理が不適切だったことによる後部圧力隔壁の破損が事故原因とされている。
- 隔壁の破損による客室からの急激な空気の流出のため、機体尾部と垂直尾翼を破壊、4つある油圧系統のすべても破壊され操縦不能に陥った。
- 事故発生から墜落までの約30分間、機体が上下前後方向の回転運動であるダッチロールを起こしていたことが報道され、ダッチロールの語は世間に知られるようになり、政権の不安定状態を表す「政権ダッチロール」というように使われるようになる。
- 墜落まで猶予があったため、多くの乗客が遺書をのこした。
- 事故原因は異論もあり再調査を望む声も出ているが、実現はされていない。
- 生中継の機材の準備に間に合ったフジテレビだけが、生存者の救出を生中継した。
- 夏休み中であり、最終便の1本前だったため、帰省客など乗客が多く、著名人も多かった。
- 歌手の坂本九、ハウス食品社長、阪神タイガース球団社長など。
- また、予約しながら搭乗しなかった著名人として、明石家さんま、逸見政孝一家、舛添要一などがいる。
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- 1986(昭和61)年、上野村に慰霊の園が開かれた。
- 2006(平成18)年、事故の教訓を後世に残すため、残骸や事故資料を展示する日本航空安全啓発センターが羽田空港敷地内に開設された。
- 事故に関する映画
- 「クライマーズ・ハイ」(2008(平成20)年公開)
- 「沈まぬ太陽」(2009(平成21)年公開)
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関連HP |
8・12連絡会(遺族会) |
日本航空
・・・日本航空安全啓発センター |
■「沈まぬ太陽」にゆかりがあり、ポスター(左側)が貼ってあった群馬県立自然史博物館のダーウィンの部屋(群馬県富岡市)
2010/5/30 |
2011.02.25 |
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