- 磔は西洋でも古くから行われた。
- 日本では、戦国時代に盛んであったが、江戸時代にも行われた。
- 幕府の制度では、磔の刑場は浅草(千住(せんじゅ)の小塚原(こづかっぱら)(現・東京都荒川区))と品川(鈴ヶ森)(現・東京都品川区)であったが、地方で悪事をした場合には、その場所で行うこともあり、また関所破りの場合には、その場所で磔に処する定めだった。
- 左脇腹から肩先に、槍の穂先一尺(約30cm)余を突き出し、一つひねって槍を抜き、そのあと左右から、かわるがわる20から30本ぐらい突き、最後に喉に左から「止め(とどめ)の槍」を突いた。
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