アメリカ・人物
トーマス・エジソン Thomas Alva Edison
  • 「発明王」と称されたアメリカの発明家、企業家。
  • 1847(日本-江戸時代後期)〜1931(昭和6)年
    • 電球、発電システム、録音装置、映写機などを発明または改良して、現代社会の形成に大きな影響を及ぼした。
  • 1847年2月11日(日本-江戸時代後期)、オハイオ州ミランで生まれる。
    • ミシガン州ポートヒューロンで3カ月だけ学校に通ったが、教師から知能が低いと言われたので、学校教師だった母親が教育した。
    • 12歳のときにグランド・トランク鉄道で新聞売りの仕事を始め、ひまなときには貨車の中で実験をしてすごし、車内で印刷した新聞「グランド・トランク・ヘラルド」を発売した。
      • このころから聴力の障害が起こり、やがてほとんど耳が聴こえなくなった。
      • 駅長の子供を轢死(れきし)寸前で救ったエジソンは、見返りに電信技術を教わり、手にした金でファラデーの全集を購入し、電磁気学を研究する。
    • 電信技手として働きながら、最初の発明は、電信技手がいなくても自動的に信号が次のラインに伝えられる電信反復装置だった。
    • ボストンで職に就いて発明したものに、投票記録機や株式相場表示機があるが、投票記録機は議会の実情になじまず、採用されなかったが、相場表示機は投機ブームの世相にうけた。
  • 1869(明治2)年、ニューヨークのゴールド・アンド・ストック電信会社と契約、そこの装置とサービスを改良した。
    • 電信装置を製作して4万ドルを儲けた。
  • 1876(明治9)年、儲けた金を元手に、ニュージャージー州メンローパークに発明工場ともいうべき研究所をつくり、より高速で広範囲に送信できる自動電信装置などを考案した。
    • 電信の分野での極め付きの業績は、1つの回線で複数の信号の同時送信を可能にした発明だった。
    • そのころグラハム・ベルが発明した電話機は、エジソンのカーボン電話送話器の発明によって実用化の道を拓いた。
  • 1877(明治10)年、表面をスズ箔(はく)で覆った円筒盤に機械的に音が記録される蓄音機の発明を発表。
  • 1879(明治12)年、白熱電球の発明を一般公開。
    • その完成のために研究と実験を重ね、電球のフィラメントになる材料を探し求めて、日本産の竹を乾留したものが最も良好であることを発見した。
  • 1882(明治15)年、電球と発電機の改良にとりかかり、世界初の大規模発電所を開発してニューヨークに設置した。
    • しかし、彼がつくったのは直流発電機で、のちにアメリカの発明家テスラとウェスティングハウスが開発した交流発電機にとってかわられた。
  • 1887(明治20)年、ニュージャージー州ウェストオレンジに移り、実験と研究のために巨大な研究所を建設した(彼の家と研究所は1955(昭和30)年、エジソン国立歴史博物館となった)
  • 1893(明治26)年、キネトスコープで映画を初上映した。
    • これは何枚もの絵を高速で連続させて動画をつくりだす最初の装置でだった。
    • その後の注目すべき発明には「エジソン蓄電池」だった。
      • アルカリ性の溶液を用い、陽極には水酸化ニッケル、陰極には酸化鉄を使った蓄電池で、丈夫で、単位重量当たり高い電気容量を持っていた。
    • また、円筒盤の代わりに円盤に音が記録される蓄音機も、発明した。
      • この蓄音機はダイヤモンド針を使い、ほかにも改良された特徴をもっていた。
  • 1913(大正2)年、蓄音機とキネトスコープを合体させて、世界初の音が出る活動写真を制作した。
    • ほかにも、電気ペンや謄写版、微小な温度変化を探知する微圧計、動いている列車と通信するための無線電信を行う方法などを発明している。
    • 第1次世界大戦が始まると、ベンゼンや石炭酸、アニリン誘導体の製造プラントの設計、建設、運営を行った。
  • 1915(大正4)年、アメリカ海軍顧問会議の議長となり、その資格を生かして多くの価値ある発見をした。
    • 晩年は主として、以前の発明を改良したり、完成させたりする仕事を続け、生涯で1300もの発明をし特許をとった。
      • そのために不眠不休の研究生活を送ったが、ほとんどの発明が、それまでの科学的な知識を使っているという意味で、エジソンは科学者というよりも技術者だったといえる。
  • 1883(明治16)年、熱したフィラメントの近くに金属線を入れると、電流が流れることを発見した。
    • エジソンは、この現象について特許を取得したが、論文発表は行わなかった。
      • エジソン効果と呼ばれるこの現象が、トムソンの研究により、近代電子工学に深い意味をもつことがわかったのは数年後のことだった。
  • 1878(明治11)年、フランスのレジオン・ドヌール五等勲章、1889(明治22)年、レジオン・ドヌール三等勲章をうける。
  • 1892(明治25)年、大英帝国技術協会からアルバート勲章をうけ、1928(昭和3)年、「19世紀の文明に革命をおこした発明を発展させ応用した」功績に対して、国会のゴールド・メダルを受賞した。
  • 1931(昭和6)年10月18日、ウェストオレンジで永眠した。
    • 葬儀のとき、アメリカ全土で1分間電球を消灯し、喪に服した。
  • エピソード
    • エジソンが電話の呼びかけに"HELLO"(ハロー) を使ったため、一般にひろまった。
    • アメリカの複合企業、ゼネラル・エレクトリックはエジソンが興した会社が前身。
      • アメリカには他にエジソンの名を冠した企業が多くあるが、それらはトーマス・エジソンの名が由来であるのだが、エジソン自身とは関係ない。
    • エジソンの言葉として「天才は1%のひらめきと99%の汗」(Genius is one percent inspiration and 99 percent perspiration.) が広く知られている。
      • 一般的には、努力の重要性を説いているとされているが、日本において「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」と解する説も有力らしい。
      • しかし、アメリカにおいては、やはり「天才でも努力が必要」が一般的だという。
    • 白熱電球の改良に使用した竹の産地である、京都男山の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)(京都府八幡市)の境内にエジソン記念碑がある。
  • 参考:エンカルタ2007/Wikipedia
関連HP
Thomas Edison National Historical Park
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)(京都府八幡市)(境内案内の山上(上院)の地図で記念碑の位置がわかる)
■エジソン電球・・・科学と技術の歩み:国立科学博物館地球館(東京都台東区)

2011/4/15
2011.07.24

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