世界・中国
宦官 かんがん
  • 宮廷や貴族に仕えた去勢された男子。
  • 古代オリエントにすでに存在していたといわれる。
    • この風習はギリシャやローマにも伝わったが、中世にキリスト教が普及するにつれて衰えた。
    • アジアにおいてはその後もオスマン帝国やムガル帝国に多くの宦官が存在していた。
  • 歴史上重要な役割を果たし、また最も長く存在していたのは中国
  • 紀元前1300年頃((日本-縄文時代)王朝の武丁(ぶてい)の時代には、すでに宮廷において宦官が使用されていたことが、甲骨文字の解読で判明している。
    • 1924(大正13)年、清朝最後の皇帝溥儀(ふぎ)とともに紫禁城を追われるまでの約3300年の間、宦官は中国の歴代王朝に存在し続けた。
  • 宦官の主な任務は、宮廷内の雑務。
    • 特に皇后や妃の住む後宮(こうきゅう)には皇帝に仕える多くの女性が居住しており、皇帝以外の男性は出入りを禁止されていたので、生殖機能を失っている宦官が、後宮内のすべての雑務を担当した。
    • 宦官は宮廷内では最下級の身分とされ、政治に関与することは厳しく禁止されていた。
    • しかし、皇帝・皇族の生活に最も密接していたのは高級宦官たちであり、幼少の皇帝が出現すると、しばしば政治に介入した。
    • その結果、政治が混乱し、後漢や唐・明は、宦官の専横によって滅んだといわれる。
  • 歴代王朝のなかで、宦官を最も多く使用したのは明朝
    • 末期においては、その数は数万人にもふくれあがり、食事の配給を受けることができずに餓死する下級宦官がいたといわれる。
    • 一般庶民にとっては宦官になることは、栄達への近道だった。
    • 近代以前の技術では、性器の除去手術は危険で死亡率が高かったが、一族のために我が子に手術を受けさせ、あるいは自分から手術を受けて宦官になる者があとをたたなかった。
  • 政治を腐敗させて王朝の衰亡を早めたとされる宦官の数は多く、なかでも秦の趙高(ちょうこう)や唐の高力士、明の王振、劉瑾(りゅうきん)らが有名。
    • 趙高は、始皇帝の死後、宮廷の権力を独占し、宰相の李斯を処刑して秦帝国を滅亡に導いた。
  • 一方、行政・文化の面で大きな功績を残した宦官もいた。
    • 前漢の皇帝武帝の怒りを買い、死刑か宮刑かを選べといわれ、「史記」を仕上げるため、やむなく宦官になる道を選んだ司馬遷のような例もあり、紙の普及に功のあった後漢の蔡倫、大艦隊を率いインドやアフリカ東海岸まで航海した明の鄭和も宦官だった。
2010.02.19

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