- 1970(昭和45-)年代に地方が先行して実施し、1980(昭和55-)年代以降は国の政策として推進されてきた。
- 当初中国は人口拡大政策だった
- 商工業が未発達で農村社会を基盤とする地域では、医療の未発達もあって一般に多産多死が多くみられるが、中国も例外ではなかった。
- くわえて中国では伝統的に「多子多福」「養児防老」の風潮が強く、大家族が一般的であった。
- 革命後の社会主義建設においては、毛沢東の「人口は多ければ多いほど国の武器になる」という人口資本説にもとづいて、工業化ももっぱら技術的裏づけのない「人海戦術」が採用された。
- この戦略は大躍進政策の失敗で頓挫(とんざ)することになる。
- 人口抑制政策に転じる
- 文化大革命が終息する1970年代になると、人口を抑制する動きが地方で広がっていった。
- 中央段階においても、人口抑制が国の政策として採用されるに至った。
- 1980(昭和55)年の新しい婚姻法は、婚姻年齢を男22歳、女20歳(少数民族は男20歳、女18歳)とし、計画生育の義務を定めた。
- 1982(昭和57)年の憲法は、国による計画生育の推進を定めた。
- この段階では、その具体化は地方ごとの法規と行政措置にゆだねらた。
- 一人っ子政策は、この憲法や婚姻法に基づきつつ、もっぱら地方レベルでの条例などによって推進されていった。
- 法的に「一人っ子」が定められたのは、2001(平成13)年成立の「人口および計画生育法」においてであり、翌年施行(しこう)された。
- 問題点
- この政策により、中国はある程度の人口抑制に成功したが、いくつかの問題も抱えることになる。
- 漢民族の伝統では、男子が親の面倒を見ることになることや、農村部においては肉体労働を積極的に手伝ってくれる男児の出産を希望する農民が多いため、妊娠時の検査で女子の場合は中絶手術を行うケースが多発している。
- これにより結果として男女比が偏り、結婚できない男性が急増している。
- 男「小皇帝」女「小公主」
- 一人っ子は祖父母や両親など大人から一身に愛情を受けて育つため甘やかされことにより、自分勝手で、しかもひ弱で、それ以前の世代とは異なる価値観を持った子供が増えてこのように呼ばれている。
- 人口抑制を進めた結果、2015(平成27)年頃を境に労働力人口が減少に転じるという統計もあり、中国経済へ深刻な影響を与える可能性も指摘されている。
- 一部では一人っ子政策の緩和に向かう動きも出ており、上海市は1人っ子同士の両親に対して2人目の出産を奨励するような政策を打ち出し始めた。
- しかし一人っ子政策を完全に止めてしまうと、世界の人口爆発問題がさらに深刻化することにもなり、そのバランス取りが非常に難しいという。
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