- 1875(明治8)年-1928(昭和3)年
- 奉天省(現、遼寧省)海城県の貧農の家に生まれ、ほとんど正規の教育を受けることなく馬賊に身を投じ、のち奉天で自衛軍なる私兵団を組織した。
- 日露戦争では日本軍の別働隊として活躍したが、ロシア軍とも通じていたといわれる。
- 1911(明治44)年、1911年の辛亥革命当時は奉天(現、瀋陽)市内の警備を担当していたが、中華民国成立後も失脚することなく、奉天督軍(1916(大正5)年)、東三省巡閲使(1918(大正7)年)となって東北地方の東三省を事実上掌握し、日本の関東軍の支援も得て奉天軍閥を形成した。
- 軍閥戦争をたびたび行って華北、華中にも勢力を拡大する。
- 1924(大正13)年、第2次奉直戦争後は江蘇省にも勢力を張り、北京政界最大の実力者となる。
- その後、広東政府との協調路線をとる馮玉祥(ふうぎょくしょう)らと対立して、一時下野する。
- 1926(昭和元)年、安国総司令を自任して政界に復帰、「反共討赤」を唱える。
- 1927(昭和2)年、4月李大サ(りたいしょう)ら中国共産党員20名余を逮捕殺害、6月には陸海軍大元帥を称し、北京政府の頂点に立つ。
- 1928(昭和3)年、蒋介石率いる国民党北伐軍の進撃により、東北への撤退を余儀なくされた。
- このころになると、日本にとって張作霖はもはや無用になっており、同年6月、列車による撤退中に奉天郊外において関東軍の手により爆殺された。
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