- 『忠臣蔵』の敵役(かたきやく)で有名な吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)の邸宅があったところで、大石内藏助(おおいしくらのすけ)率いる赤穂浪士によって討ち入りを決行された現場を記念して公園としたもの。
- 当時の邸宅は、現在の公園の約76倍と推定されている。
- 討ち入り後に邸宅は幕府によって没収され、その後住宅街となっていき、往時を偲(しの)ばせるものはなにもなくなっていたが、1934(昭和9)年、地元有志が一角の土地を購入して当時の東京市に寄付し、翌年、公園として開園したのが始まりという。
- 住宅街の中で普段は閑散としているが、毎年、12月14日に開かれる義士祭では出店や多くの観光客でにぎわうという。
- 両国3丁目町会や吉良上野介の地元、愛知県吉良町(きらちょう)(2011(平成23)年、西尾市に編入)などの協力によって、吉良町の菩提寺の像を基にした「吉良上野介義央公」の復元像が設置された。
- 従来「忠臣蔵」の影響により、吉良上野介は悪役として知られていたが、近年再評価が進んでいるという。
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