- 名前の由来は「五穀を使った」、「五寸に切った」などいくつかの説がある。
- 江戸時代後期の洒落(しゃれ)本作家・大田南畝(1749-1823)の随筆に「五荷棒」と呼ばれる菓子の記述がある。
- 尾崎紅葉が1899(明治32)年に、読売新聞に連載した随筆にも登場する。
- 現在の味や形の原型は、明治初めに熊谷生まれの和菓子職人が考案したとされる。
- 1950(昭和25-)年代には熊谷市内には30数軒の店がひしめいていたという。
- その後、一時低迷したが、添加物を使わない製法や栄養価の高さで、自然食として再び見直されているという。
- 以上、吉見百穴(埼玉県吉見町)の売店に掲示されていた読売新聞(日付不明)から。
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