歴史 |
薩英戦争 |
さつえいせんそう |
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- 1863(文久3)年、イギリスは7隻の艦隊で鹿児島湾に入って生麦事件の賠償を薩摩藩と交渉をしたが進展せず開戦した。
- 戦いは3日間続いたが、食料・燃料の欠乏、船体修理のためイギリス艦隊は横浜へ退去した。
- イギリス側は戦死者13人、薩摩藩側は戦死者5人、城下町の1割が焼失した。
- 薩摩藩は幕府の立て替えで賠償金を支払ことになったが、薩摩藩は西洋文明の優秀さを、イギリス側も薩摩藩の開国論を知り、結果お互いに急速に近づくことになる。
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■薩英戦争で犠牲になったイギリス将兵を記念した銘板・・・横浜開港資料館(神奈川県横浜市中区)
2004/12/23 |
*2011.09.17 |