ヤマトタケルノミコト
(日本武尊)
  • 記紀神話にみえる古代の英雄。
  • 古事記」では倭建命、「日本書紀」では日本武尊としるされている。
  • 景行天皇の皇子。
  • 景行天皇の命により、少年の身ながら、九州南部で抵抗していた熊襲(くまそ)を平定し、そのとき熊襲の首領クマソタケル(熊曽建:熊襲梟帥)から、ヤマトの勇猛な男を意味するヤマトタケルの名を献じられた。
    • 帰途、山河の神々を服従させ、出雲のイズモタケル(出雲建)を謀殺して都に戻ったが、天皇はすぐに東の十二国の平定を命じる。
    • 伊勢神宮の斎宮ヤマトヒメ(倭比売:倭姫)から与えられた草薙剣(くさなぎのつるぎ)と火打石を携えて、尾張、焼津、相模の走水(はしりみず)( 観音崎)を経て房総半島に渡り、ここから進んで蝦夷(えみし)を討ち、帰途は足柄、甲斐、信濃を通って尾張に着いた。
    • 伊吹山の神を退治に行くが、病み、三重の能煩野(のぼの)で望郷の歌をうたって死んだ。
  • 大和朝廷の発展期の数次に渡る地方平定を、ひとりの英雄の物語としてまとめたものといわれる。
  • 参考:エンカルタ2007
2010.09.20

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