- 1628〜1700
- 黄門(こうもん)は中納言の唐名(中国での呼称)。
- 徳川家康の11男、頼房の3男に生まれるが世継ぎとなり、1661(寛文元)年、頼房の死で藩主となる。
- 父の死に際して殉死を厳禁してひとりの犠牲者もださなかったため、水戸藩では幕府の殉死禁止の先例をつくったと称えられている。
- 光圀は藩主となる以前から日本の歴史を編纂する意向をもっていた。
- 1690年(元禄3)、兄、頼重の子に水戸藩を継がせると、その事業に本格的に取りかかる。
- この「大日本史」の修史事業は1906(明治39)年に完成したが、この過程で全国から学者が集められ、水戸学とよばれる学風が成立する。
- 藩主の時代、領内を巡ったとから名君伝説が生まれ、それに修史事業に加わった学者たちが史料採集のため諸国を旅したことが加味され、幕末〜明治初年、講談師らの手でいわゆる「水戸黄門漫遊記」がつくりあげられた。
- 人気長寿連続テレビドラマ「水戸黄門」(TBS)にもなる。
- 「天下の副将軍 水戸光圀」という決めゼリフがある。
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