人物
武田信虎 たけだ のぶとら
  • 1494年または1498年(室町時代後期/戦国時代前期)〜1574年(安土桃山時代初期)
  • 居館が石和(いさわ)(現・山梨県笛吹市)にあったが水害が多かったため、甲府の躑躅ヶア(つつじがさき)(現・武田神社がある場所)に移し、甲府の基を築いた。
  • 1542年、息子の信玄によって追放される。
  • 安土桃山時代の軍学書「甲陽軍鑑」では粗暴、傲慢な人物と記され、意見した重臣を次々に切り、家系を絶えさせたという。
  • 戦国大名として武田氏の発展の礎を築いた名将との評もある。
  • 後に「お鉢廻り」という習俗として定着することになる、富士山頂を蓮の花びらに見立ててまわる登山を行った。
  • 信虎、信玄、武田氏が滅亡する勝頼までを、後に「武田三代」と呼ぶようになる。
  • 参考:Wikipedia/朝日日本歴史人物事典
■信虎が移り住んだ居館があった武田神社(山梨県甲府市)

2006/1/6
*2017.02.04

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