- 1804〜1850
- 陸奥国(むつのくに)(現・東北地方の東側)水沢(現・岩手県奥州市)に生まれる。
- 医学修業のため江戸に出て、オランダ医学を修める。
- 長崎に留学し、シーボルトの鳴滝塾に入塾。
- シーボルト門下の第一人者といわれる。
- シーボルト事件が起きると罪が及ぶことをおそれて長崎を離れ、江戸に戻る。
- 江戸では、町医者となって麹町で開業、生理学の研究も深め、1832年(天保3)、日本初の生理学書である「西説医原枢要」を著す。
- 幕府の対外政策を批判。翌年、幕府が蘭学者を弾圧した「蛮社の獄」で逮捕され、永牢(えいろう)処分(無期禁固刑)を受ける。
- 1844年(弘化元)牢内雑役夫を使って放火脱獄する。
- 指名手配され江戸を離れるが、再び江戸に潜入する。
- その後、招かれて宇和島(現・愛媛県宇和島市)で蘭書の翻訳などをしたが、幕府の知るところとなり江戸に戻る。
- 薬品によって顔を変え、医業を再開するが、幕府により追いつめられ隠れ家で自殺する。
|