- 1902(明治35)年-1985(昭和60)年(83歳)
- 終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官、東北電力株式会社会長などを歴任した。
- 1945(昭和20)年、終戦連絡中央事務局の参与に就任したとき、敗戦国側でありながらGHQと対等に対応したことから、「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。
- 1951(昭和26)年、サンフランシスコ講和会議に全権団顧問として随行する。
- 吉田首相の条約受諾演説の原稿が、GHQに媚びる内容で、かつ英語で書かれていたことに白洲は激怒する。
- 「講和会議というものは、戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず。その晴れの日の原稿を、相手方と相談した上に、相手側の言葉で書く馬鹿がどこにいるか」と一喝する。
- 演説原稿は日本語に変更され、随行員たちが和紙に毛筆で書いたものを繋ぎ合わせた30mもの巻物となる。
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