白洲次郎 しらす じろう
  • 終戦時にアメリカとの折衝に関わった実業家。
  • 1902(明治35)年-1985(昭和60)年(83歳)
  • 終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官、東北電力株式会社会長などを歴任した。
  • 1945(昭和20)年、終戦連絡中央事務局の参与に就任したとき、敗戦国側でありながらGHQと対等に対応したことから、「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。
  • 1951(昭和26)年、サンフランシスコ講和会議に全権団顧問として随行する。
    • 吉田首相の条約受諾演説の原稿が、GHQに媚びる内容で、かつ英語で書かれていたことに白洲は激怒する。
    • 「講和会議というものは、戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず。その晴れの日の原稿を、相手方と相談した上に、相手側の言葉で書く馬鹿がどこにいるか」と一喝する。
    • 演説原稿は日本語に変更され、随行員たちが和紙に毛筆で書いたものを繋ぎ合わせた30mもの巻物となる。
  • 以前は随筆家である妻の白洲正子の方が有名だったが、敗戦時の行動や、若いころから晩年までスポーツカーを乗り回していたかっこよさから、近年(1990年代後半から21世紀に入って)評価され、特に2000年代後半は白洲次郎を取り上げた書籍が多数刊行されたり、テレビドラマや番組になったりと、白洲次郎ブームともいうべき状態になった。
    • 2009(平成21)年、NHKドラマ・スペシャル白洲次郎 全3回放送。
    • 1940(昭和15)年、現・東京都町田市疎開したときに住んだ武相荘が現在、記念館として公開されている。
関連HP
NHKドラマスペシャル白洲次郎(2009)
2009.12.1

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