下村観山
しもむら かんざん
明治から大正にかけての日本画家。
1873(明治6)年〜1930(昭和5)年
1889(明治22)年、東京美術学校(現・東京芸術大学)に
横山大観
らとともに第1期生として入学。
校長の
岡倉天心
から指導を受ける。
1894(明治27)年、卒業と同時に同校の助教授に就任。
1898(明治31)年、天心が辞職すると、これにしたがって辞職し、天心の日本美術院創設に参加する。
1903(明治36)年から1905(明治38)年にかけて文部省留学生として欧米に留学する。
1913(大正2)年、天心が没すると、翌年その遺志をついで日本美術院を再興する。
参考:Microsoft エンカルタ2007
■下村観山らを寄宿させて、三渓園グループという画壇をつくった原三渓の
三渓園
(神奈川県横浜市中区)
2005/4/8
2010.2.7
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