- 1908(明治41)年-1973(昭和48)年
- 幼い頃に両親が離婚して養子に出され、台湾や大阪、神戸と各地で辛酸をなめつくした末に上京する。
- 1933(昭和8)年、浅草の劇場の劇作家となる。
- 第2次世界大戦後に書いた2つのNHK連続ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」(1947(昭和22)年-1950(昭和25)年)と「君の名は」(1952(昭和27)年-1954(昭和29)年)で、名声を一躍高めた。
- 「君の名は」では、「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」というエピソードが伝わる。
- 映画化された時、主人公のショールの巻き方が「真知子巻き」と呼ばれて流行したり、ガラス越しのキスも話題になった。
- 1955(昭和30)年、東宝の演劇担当重役となり、劇作家や演出家としてばかりでなく、プロデューサーとして腕を奮い、「がめつい奴」「放浪記」などの名舞台を生み、森光子、森繁久彌など多くの俳優を育てた。
- ブロードウェー・ミュージカル「マイ・フェア・レディ」や、「風と共に去りぬ」を翻訳上演し、日本の演劇界にミュージカルを定着させた。
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