林芙美子 |
はやし ふみこ |
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- 1903(明治36)年-1951(昭和26)年(享年47)
- 母は結婚離婚を繰り返していた。
- 芙美子の父は行商をしていたため、一家は九州を行商して歩き、芙美子は転向を重ねた。
- 小学校を終えた芙美子は工場で働きながら、1922(大正11)年、高等女学校を卒業、上京する。
- 自活のため職を転々とし、これが後に『放浪記』で描かれる生活の始まりだった。
- 貧乏のどん底におちながら体当たりで生きていく女性の姿を描いた半自叙伝的長編小説『放浪記』の第1、2部が1930(昭和5)年に出版され、ベストセラーとなる。
- 戦争中(太平洋戦争)は、特派員などで従軍し、アジア各地を巡る。
- 1949(昭和24)年に『放浪記』の第3部が出版される。
- 1951(昭和26)年、朝日新聞などが連載中だったが、過労のため健康を害し、心臓麻痺で死去する。
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- 芙美子が色紙によく書いた「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」のフレーズは有名。
- 事実上の絶筆『浮雲』(1949(昭和24)年-1950(昭和25)年)での一文。
- 2009(平成21)年、菊田一夫脚本による林芙美子が主役の舞台「放浪記」を2000回単独・主演した森光子(当時89歳)は、この年、国民栄誉賞を受賞した。
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■林芙美子記念館(東京都新宿区)
2009/11/23 |
2010.1.15 |
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