紀元節 きげんせつ
  • 明治政府が神武天皇即位の日として制定した祝日。
  • 1872(明治5)年、太政官布告(だじょうかんふこく)により、「古事記」「日本書紀」の記述に基づき、初代天皇とされる神武天皇が即位したという1月29日が祝日に定められた。
    • 翌1873(明治6)年、2つの太政官布告によって、祝日の名称を紀元節とし、期日は2月11日に変更された。
    • 期日の変更は太陽暦の採用に伴う措置だったが、当時の学問水準では第33代にあたる推古天皇以前の暦法が明らかでなく、その根拠は当時から不確かだった。
  • 紀元節は、成立したばかりの明治政府首脳が、天皇を中心とした国家支配体制の正当性を内外に示す必要から制定されたと考えられている。
    • 以降、紀元節は大日本帝国憲法発布など国家的行事の日に選ばれ、小学校教育の普及とともに各地で建国記念祭が行われ、もっとも重要な祝日として定着していった。
    • 1948(昭和23)年、「国民の祝日に関する法律」によって、日本国憲法の理念にふさわしくないとして廃止された。
  • その後、復活論が繰り返され、1967(昭和42)年、「建国記念の日」と改称されて復活、公布された。
    • 現在も、その正当性について紀元節論争が続いている。
  • 参考:エンカルタ2007
関連HP
建国記念の日(日本文化いろは事典ページ)
2012.02.11

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