歴史 |
廻船 |
かいせん |
- 江戸時代に発達した、日本の沿海航路で物資を運んだ商船、輸送船。
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- 川船や漁船、御座船(ござぶね)以外の荷船を総称するが、商船や輸送船の中でも、遠隔地間を結ぶ大型のものをいうことが多い。
- 一般に千石船(せんごくぶね)と呼ばれる大型廻船は、正式には弁才船(べざいぶね)あるいはベザイ造りといわれる和船であり、1000石積みで水主(かこ)15人前後が乗る。
- 菱垣廻船や樽廻船は、はじめ300石積みの弁才船から出発し、大坂〜江戸間を平均30日くらいで結んだ。
- これが、幕末期には1500〜1800石積みにまで大型化し、所要日数も平均12〜13日、順風のときには3〜4日にまでスピードアップした。
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- 歴史
- 沿海航路は、瀬戸内海を中心に早くから発達していたが、廻船という語は、鎌倉時代からみられ、これが近世に引き継がれた。
- 近世になると、内陸の河川舟運とともに、沿海航路も飛躍的に発展した。
- 瀬戸内海の廻船は引き続き発展し、江戸〜大坂(現・大阪)間にも菱垣廻船、樽廻船が始まって、海上輸送の大動脈となった。
- 寛文年間(1661〜73)(江戸時代前期)には、河村瑞賢によって西廻り海運と東廻り海運が整備されたため、全国的な海運網が確立した。
- 大坂〜北国、蝦夷地を結ぶ北国廻船(北前船)も登場した。
- 明治期になり、汽船の普及で廻船は次第に衰退したが、北前船は明治後期まで活躍した。
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2011.06.10 |